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謎の守屋神社-インドと古代日本との関わりについての一考察

2016.06.26 (Sun)
2016/06/26 
今、NHKで御柱を放送してました
ただ引っ張ってるところを映してたのかと思ったらとてもいい番組になっていました
祭りの間、いろんなことがあったので見ないでおこうと思いながらやっぱり見てしまいました
で、見た後の感想ですって?
諏訪に引っ越して本当によかったなと

御柱の謎に関する過去の記事です
しばらくトップに置いておきます




2015/06/10の記事


高遠城址をあとにして、突如少彦名を襲う春の嵐
雷が鳴り、行く手を遮る灰色の霧を抜けると
そこには、打ち捨てられた古い神社の鳥居がぽっかりと口を開いているのでした

『桜露』より続き


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守屋神社
諏訪湖の南、守屋山を隔てて諏訪大社の裏側に位置する
物部守屋の一族が蘇我との戦に破れたどり着いたこの地で開山したと言う伝説が伝わっている




さて、以前よりこの守屋神社には多少の興味を持っていた少彦名
元来方向音痴の私が偶然出くわしたこの好機を逃す手はございません
あわや通り越したスバルサンバートラックのきびすをドリフトさながら取って返し鳥居の傍らに倉卒の車輪を休めたのであります

 
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さて、飛び出だすのはあやかしか妖怪変化か・・・・・・
なぜか気になるアルミ製の妖怪ポスト



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赤松がくねくねとからまる雨の参道を音も立てずに上って行きます




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程なく行くとお堂が見えてきました
人里はなれた峠道
あたりの雰囲気と比べると非常に重厚な立派なものです





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さらに上を見上げれば本堂と思われる切妻作りのお社が見えてまいりました

諏訪の地に来て覚えたのはどんな神社でも立派な本殿と思しき建物の奥に必ず正真の本殿が控えていることを






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逸るその足を石段の水溜りにおとしながら電池の切れ掛かったカメラを小脇にかかえた少彦名
やがて雨にぬれた石段の頂上はうつむく視線に途切れ赤く松葉の敷き詰めた境内が視界に広がったかと思うと

『あっ!』

『あっ!あ!!』

冷たい雨に濡れ日が落ちかけた森のお堂からぬっと人が現れればそれはそれはびっくりする
互いが互い、犬を連れた老人と私は声を上げて飛び上がった





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めったに人の訪れることのない古い神社で別に悪いことをしていたわけでもないのに妙にうろたえて言い訳がましくしゃべっている私がいる。前からこの神社が気になっていたこと、思わず行き当たってうれしくて上ってきたことなど

老人も、私がこの忘れられたお社に興味を持っていることにうれしく思ったのか守屋神社の来歴をポツリポツリと話し始めた

さて、この守屋神社にまつわる老人の話
聞けば聞くほどその謎は深まってゆく







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この神社が物部守屋を祭っていることは先に述べた。鳥居の額にも物部守屋神社としっかり書かれている。今から1400年前、蘇我馬子との権力抗争に敗れ、都を追われた物部一族の一集団が縁故を頼ってたどり着いたのがこの地だという。その縁故というのが諏訪大社の神官をつかさどる守矢氏、もしくは諏訪氏だったのか、それは定かではないが中央を追われた一族は遠い信州の地まで命からがらたどり着いたわけだ。しかしながら、朝廷に敗れ落ち延びてきた物部氏はいわば逆賊、都での戦に破れた恥辱に恥じ入りこの山里に身を隠しその姓を守屋と改めてこの地に隠れ住んだ。そしてのちに、彼らの始祖、物部守屋を祭ったのがこの神社であると老人の言によればそういうことになるようなのだ・・・・ が、しかしちょっとまって欲しい。元来、この守屋山は諏訪大社のご神体、その神聖な御山に、いわばよそ者である物部守屋なる新参者を新たに神として祭るというのはあり得る事なのだろうか?そもそも守屋山は物部氏がたどり着く以前からモリヤの御山として長らく信仰の対象であったはずなのだ。
 整理する意味もかねて諏訪大社の宮司さんに電話で問い合わせしてみた。
すると諏訪大社の聖域、いわゆる禁足地には守屋山の山頂は実は含まれていないそうだ。現在の禁足地、諏訪大社の神聖なる聖域は現在の行政区域、現状の寺社所有地と一致しているとのことだったが、古文書等でも確認できる限り諏訪大社の聖域は大社より見渡せる範囲の守屋山東側、諏訪湖畔に面した守屋山の一部であり、一般に言われている守屋山の山体すべてが諏訪のご神体というわけではないようなのだ。さて、こうなれば、物部氏をその山腹に神として迎え入れることには支障がないように一見、見受けられる。守屋山を背にして大社と反対側に位置する守屋神社は諏訪大社とは全く別の系譜を持つ、諏訪大社とはまったく無縁な神を祭ったものということになる。
 さて、ここでさらに歴史をさかのぼってみることにしよう。現在の諏訪大社の祭神、建御名方神(たけみなかたのかみ)が国譲りの神話によって出雲の国を追われ諏訪に逃れてこの地を治め現在に至るわけだが、お諏訪様が統治するそれよりも昔、諏訪周辺を束ねていたのは古代よりの神、洩矢神(モリヤ、モレヤ)であった。洩矢神は諏訪周辺で有史以前から永らく信仰されてきた土着の神である。そこに、西より山を越えて侵入してきた建御名方神の勢力が押し寄せてくるのである。そしてこの戦によりモレヤの神は奮戦むなしく敗れ去ってしまう。建御名方神はすでに出雲の地で朝廷の神々に屈し大和の神のひとつとして延命を許されたていた、その勢力が諏訪の地を掌握するということは大和の国の一国として統治されること、固有の文化を持つ一独立国家から、大和朝廷の中央集権体制に組み込まれた一地方として存続することを意味する。さて、ここで一つ不思議なことがあるのだが、これまで諏訪の国を守ってきた守矢一族、諏訪の地を守るために出雲勢と雌雄を決した守矢氏がその処遇を許された上に、こともあろうに古代の神にとってかわった大和の神、建御名方神に仕える諏訪大社の神長官という最高職を授かり以前よりのその権威を出雲勢との敗戦以降も持ち続け、結果その地位を近世まで連綿と代々勤め上げたこと。諏訪の地を収めるために中央政府がとったコンセンサスといえばそれまでだが、とにもかくにも、ここに諏訪を統治す建御名方神の末裔、諏訪氏の治世が始まるのである。しかし一方、守屋山の裏側、この守屋神社周辺のごく限られた地域で起きたことは今まで述べたこととは少々事情が異なるようなのだ。先も書いたようにここでは物部守屋なる名が振って沸いたように突然現れるのである。さて、この事実が皆さんにはどう映るだろうか、かく言う私には非常に突拍子のないことのように思われてならないのだが。
 さて、ここからは私なりに考えてみることとしよう。一番に引っかかるのが守屋姓と守矢姓の『一文字』の違いである。古代、諏訪を統治してきた守矢一族と守屋山、山を挟んで物部守屋を祖とするのが守屋姓の一族、私には守矢と守屋の一文字の違いはただの偶然ではないように思える。すなわちそこには必然的な何か、矢を屋と違えた何かもっとほかの決定的な『事件』があったような気がしてならないのだ。守矢姓と守屋姓、先ほど守屋神社をあえて諏訪大社の裏側と記したように、この表と裏、この位置関係はもっとある必然的な対比を暗示しているのではないだろうか。すなわち、それは出雲勢が押し寄せてきたときにこの一族に起こった歴史的事件、そこには守矢一族の内部で起きた裏切りと政治的な抗争が引き起こしたある悲劇的な物語があったのではなかろうか。すなわち戦火のさなか洩矢神を正当な神とあがめ徹底抗戦を呼びかけたモレヤ一族と、建御名方神に降った神官一派の内部分裂、外敵を目前にして二つに引き裂かれた諏訪の地は強力な出雲勢の力に制圧され、戦に敗れ敗走する洩矢の残党は出雲に組する神官一族と袂を分かち、故郷を追われる形で住み慣れた諏訪の地を後に人里離れたこの地に隠れ住んだのではないだろうか。そう考えるとすべてが理にかなってごく自然な説明がつくように私には思えるのだ。守屋と一字を違えたこと、敗れたことにより信仰を奪われたこと(モリヤの祠は神官長の守る敷地内にある)、モリヤ山のふもとに新たなる神が迎え入れられたこと、守矢氏が新長官に任命されたこと・・・・ それら数々の事実の自然な成り行きのすべてが容易に説明できるように思えるのだ。遠い昔、隠れ里に身を潜めた守屋一族が後に自らの存在意義を示す為か、または滅び行く物部氏に自らを投影し共感を覚えずにはいられなかったものなのか、自らに似た境遇の物部守屋を新たに一族の祭神として迎え入れ、この山に祭ったとたというのがこの神社の始まりなのではないだろうか。期せずして、当時、物部氏は新興宗教の仏教派と対立し、本来の、日本古来の神こそが唯一信仰する対象であるべきとする勢力の中心であった。彼らは歴史から消えてゆこうとする洩矢神と物部氏を重合わせていたのではないだろうか。太古、守屋山を二分する宗教対立があったとしても決しておかしくはない。





ここは、ホッサマグナの交差するところでパワースポットでも有名なんだよ。旧約聖書にはモリヤという山が描かれていて、ここにたどり着いたユダヤ教徒、キリスト教徒がこの神社の興りだという人もいるんだよ」

「実は、モリヤという言葉はインドにもあるんですよ。御柱ととてもよく似たお祭りがネパールにもありますし、モリヤはヒンドゥー教のある神様をさす言葉だったりするんですよ。実は、そういうこともあってここまで登ってきたんです」


老人は一瞬嫌な顔をした。
そして、その話題には一切触れず、聖母マリアの話、ある新興宗教家から多額の寄付をいただいた話などを続けた


彼にとってはインドの神々より金髪の神様のほうが好みらしい




インドとのかかわり
これは私の全くの妄想として聞いて欲しい
 私の友人、若いインド人の留学生から聞く話としてインドの言葉、特に南インド、タミル語の中には日本語と非常によく似た、もしくは同じ発音の言葉が沢山あるという。さらに、タミル語のアルファベットは日本のあいうえおと全く同じならび、来日当初はあまりの共通点の多さにびっくりしたそうだ。タミル人はインドの先住民族、古代タミル語はサンスクリット文字よりもはるかに古い。

 話は少々それるが、インドからやってきたものは意外と多い。例えば民間信仰で有名な七福神のうちの三人はインド由来である。弁才天はインドの創造神、ブラフマーの妻、サラスヴァティーであり、毘沙門天は戦の神クベーラ、大黒天にいたってはその容姿からは全く想像もできない破壊の神、シヴァ神の化身マハーカーラ神だ。これらは、すべて仏教由来の伝承のようなので今回の事例とは切り離して考えるべきだがインドと日本、遠いようで意外と近い

 視点を日本に戻そう。諏訪大社の神官長を務めるのは代々守矢一族。守矢様は神官の長であり、かつ諏訪の神が降り立った現人神でもあられる。(諏訪大社には神殿がない、なぜならば山自体がご神体であり、神官長自身が神そのものを宿しているからである)インドではモリヤとは神様のこと。モリヤ、ムリヤ、モーリヤはガネーシャをあがめたたえる言葉なのである。そしてネパールには諏訪大社の大祭、御柱祭とそっくりなヒンドゥーのお祭り、インドラジャトラ祭がある。そしてそのネパールには『クマリ』と呼ばれる神が輪廻転生した生き神様の少女がいる。(モリヤ神の時代、一族の子供の中から現人神を選びだし、一年間神として崇めたという記録がある。その子供はその年の祭祀の日に神の信託を与えられ、その命は供犠としてモリヤ神の祭壇に供された。)

 老人の話では守屋神社の本堂には石の棒が収められているという。それは、インドの寺院で必ず見られる『リンガ』を連想させるではないか。さらに、洩矢神としばしば同一視されるミシャグジはここ諏訪では蛇神であるソソウ神と習合し、その姿は白蛇として現れる。それはまさにインドで言う川の神『ナーガ』であり日本で言う竜の姿『天竜川』である。ナーガはしばしば天気をつかさどる大蛇であり、怒ると旱魃に、なだめられると雨を降らす。守屋山頂に祭られた祠が旱魃の際の雨乞いの対象として拝まれたのに奇しくも呼応する。(巻末追記へ※)
 さらにさらに、諏訪太古の主、洩矢神(モレヤ)が建御名方神と戦ったときに使った武器は鉄の輪だという。同様に古代インドの戦士たちはチャクラムという鉄の輪で出来た武器を使用した。インド最高神の一人、ビシュヌはチャクラムをその右手に常に身につけている。そしてまた、ビシュヌと双璧をなすインド最高神の一人、シヴァは知恵の神ガネーシャ(モーリヤ)の父親、荒ぶる破壊の神、シヴァ神の名はインドでもたびたび『シワ』と発音され、東南アジアを渡って、『シワ』『シュワ』と変化する
・・・・諏訪・・・・・スワ・・・・シヴァ







「おや、この箱はなんでしょう?」

お堂の縁の下に小さな箱に入った子供用の真っ白なドレスと同じく真っ白なかわいい小さな靴が綺麗にそろえて収められている


「あ、これね、一週間ほどまえからこの本堂の前にお供えしてあったんだよ。何か悲しいことがあったんだね。そのままだと濡れてはいけないから、ここに移しておいたんだよ」



あたりはもう暗くなりかけている。
雨の音以外には何も聞こえない。
またいつか来よう。今度は晴れた青い空の下で。







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コメントご意見お待ちししています




追記
 
 先ほどインドの友達とこのことについて話していたらこんなことを。
ソソウ神のソソウって蛇の出す音を表現したんじゃない?インドでは蛇の声をそんな風に言うよ。
こうなればどんなことでも信じてしまいます。

 建御名方神の父親、大国主命はたびたび大黒天と同一視されることがある。これはその呼び名、オオクニ→ダイコクと変化したためだといわれているが・・・(先も述べたように大黒はインドのシヴァ神)
ちなみに少彦名は大国主命とは国造りで活躍した盟友、東京から移住した私、今となっては因縁めいた偶然のめぐり合わせ

 インドでは無駄遣いする人を心にクベーラ神がすんでいるという
毘沙門天はインドでは相当な浪費家らしい

 ナーガの場合はなだめると雨が降るが守屋山の場合は怒らせて雨を降らせる。
※雨乞いには東峰にある守屋神社奥宮の石祠を谷へつき落とし、神の怒りをかって雨を降らせてもらったといういささか乱暴な伝承もある。/信州山岳ガイド 信濃毎日新聞社より抜粋
おいおい、雨乞いの対象としてだけでなくこのような類似点の数々をどう捉えるべきなのか。探せば探すほどあとからあとからでてくるよ

この神社には狛犬が二対ある。鳥居の二体と本殿の二体だ。実は、本殿の狛犬は以前盗まれたことがある。老人の話だとこの村に千葉の石屋が出入りしていたときと時期を同じくして持ち去られてしまったらしい。村では仕方なく鳥居脇に狛犬を新たに据え付けたところ、ほどなくして持ち去られていた狛犬が帰ってきた。盗人に何か祟りでもあったのではないかというのが村でのもっぱらの噂である。


2015.10.2 追記
前から気になっていたことがひとつありました。それは、守矢氏がなぜ神官長という非常に高い位を受けることができたのかということです。これには二通りの考察ができると思います。
ひとつは出雲勢がこの地を収めるにあたり先住権力者の協力がぜひとも必要であったこと
もうひとつは、一部の造反がモレヤ一族の内部で起こり結果、建御名方神の勝利につながったこと。洩矢神は手に鉄の輪を、対する建御名方神がこの戦いで使ったのが藤の蔓、絡め取るには絶好の武器だと思うのですが・・・・

    
2016/06/30 追記
 太古の神、ミシャグジは一説によるとジムグリという赤い蛇、「ミ赤蛇」という字を当て、大社でジムグリを明神様と呼んでいたそうです。先日、雨の日に田圃の草を刈っていてジムグリの首をはねてしまいました。悪いことが起きないといいのですが。




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御柱 御事始

2015.04.27 (Mon)
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寒さにふるえていた山間の村も今は春爛漫
桜が咲き誇り、梅花が香をたき、こぶしが天高く日差しに輝き、雪に耐えてきた野の草がいっせいに花をつける

それはもう音を立てるがごとくに騒々しいほどぎやかなもの





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花の香りにさそわれてやってきたのは虫だけではありません
桜の花を追いかけて養蜂家の方もこの里にやってまいりました







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そして、村の畑にはなにやら物々しい猛者たちが車列を連ねてやってきます





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その数ざっと300人
御柱祭、四賀・豊田地区有志の方々です
本日は、来年の御柱祭に向けて練習用の木を山より授かりに参ったとのことです







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今まさに伐られんとする木の前には祭壇が設けられ、神主の神を呼び出すその道を祓い清める声

おおおおお----------

よく通る警蹕の響きが澄んだ春の空をまっすぐに伸びていきます







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いよいよ、樅の木に斧が入れられます
興奮します
はじめてみる切り出しの様子が御柱だとは私もついぞ思いませんでした








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大木のこずえが左右にゆらゆらっと揺れたかと思うとバリバリという木材のはじける音が響き渡り、樅の大木はゆっくりとその体を波打たせながら倒れていきます








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御柱は六年に一度、こちらでは数えで七年、ですから七年に一度という言い方をします。諏訪大社は上社、下社があり、それぞれ前宮、本宮、春宮、秋宮があり四本の御柱を奉納しますので計、十六本の御柱が山出しされるわけです。そのほかに、各部落には諏訪大社の分社がそれぞれ存在し、大小無数の御柱が来年にはこの地域を埋め尽くすことになります。木落とし、川越し、建御柱、他に例をみないこのお祭りはとても危険なお祭り、毎回死者が出るほどの奇祭です。この木を使った練習は11月頃からだそうで、今日の伐採にかける思いもひとしおでしょう。






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木遣を歌いながら御神木を曳きます
樹齢75年、人の一生と同じ齢の木がその命を終えました










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こちらはメドデコに使う木
上社は男、下社は女性。上社の御柱には前後四本のメドデコが立ちます





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静まり返った森の木々をかぜがびゅびゅうと流れていきます
御柱を授けていただいた心ばかりの御礼
自然を大切にし、自然を敬う人々の営みがはるか古代の時代から脈々と受け継がれているのです






御柱祭は日本では他に例のない奇祭。建て柱は出雲や伊勢神宮にも見られますが太古の姿を今に残すのはここ諏訪大社のみです。
しかしながら、目をはるか西方に移してみると、この御柱祭とよく似たお祭りがこのアジアには点在しています。そのうちのひとつ、非常に良く似たお祭りが存在するのがネパール。毎年9月に行われるインドラジャトラ祭です。
じつは、御柱のお祭りをインド、現在は国境をことにするネパールの幾つかの祭事と絡めてお話をする構想は以前からあったのですが、この時期に皆様にご披露することになってしまったことは本当に残念でなりません。ネパールも日本と同じ地震の多い国、私の愛する街、カトマンズがあのような悲惨な状況になってしまったのは本当に悲しいことです。







今回この記事を書くに当たって、はるか彼方の地、ネパールで起きてしまった大地震の被災者の方々に深くお悔やみ申し上げます。ネパールはインドに並んで私が大好きな国のひとつ。友人も沢山います。今回のことで何もなければと心から願っています。








さて、気持を取り直して今夜はこんな曲で



Nakka Mukka Female


https://www.youtube.com/watch?v=2CWmdKJ6zNc&list=PL7A5C48AF25EECAA0&index=3





友達のネパール人が酔っ払うといつも踊っていた曲
曲自体はタミルの曲だったかな
今電話したら彼の家はだいじょうぶだって







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