謎の守屋神社-インドと古代日本との関わりについての一考察

2016.06.26 (Sun)
2016/06/26 
今、NHKで御柱を放送してました
ただ引っ張ってるところを映してたのかと思ったらとてもいい番組になっていました
祭りの間、いろんなことがあったので見ないでおこうと思いながらやっぱり見てしまいました
で、見た後の感想ですって?
諏訪に引っ越して本当によかったなと

御柱の謎に関する過去の記事です
しばらくトップに置いておきます




2015/06/10の記事


高遠城址をあとにして、突如少彦名を襲う春の嵐
雷が鳴り、行く手を遮る灰色の霧を抜けると
そこには、打ち捨てられた古い神社の鳥居がぽっかりと口を開いているのでした

『桜露』より続き


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守屋神社/物部守屋神社
諏訪湖の南、守屋山を隔てて諏訪大社の裏側に位置する
物部守屋の一族が蘇我との戦に破れたどり着いたこの地で開山したと言う伝説が伝わっている




さて、以前よりこの守屋神社には多少の興味を持っていた少彦名
元来方向音痴の私が偶然出くわしたこの好機を逃す手はございません
あわや通り越したスバルサンバートラックのきびすをドリフトさながら取って返し鳥居の傍らに倉卒の車輪を休めたのであります

 
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さて、飛び出だすのはあやかしか妖怪変化か・・・・・・
なぜか気になるアルミ製の妖怪ポスト



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赤松がくねくねとからまる雨の参道を音も立てずに上って行きます




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程なく行くとお堂が見えてきました
人里はなれた峠道
あたりの雰囲気と比べると非常に重厚な立派なものです





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さらに上を見上げれば本堂と思われる切妻作りのお社が見えてまいりました

諏訪の地に来て覚えたのはどんな神社でも立派な本殿と思しき建物の奥に必ず正真の本殿が控えていることを






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逸るその足を石段の水溜りにおとしながら電池の切れ掛かったカメラを小脇にかかえた少彦名
やがて雨にぬれた石段の頂上はうつむく視線に途切れ赤く松葉の敷き詰めた境内が視界に広がったかと思うと

『あっ!』

『あっ!あ!!』

冷たい雨に濡れ日が落ちかけた森のお堂からぬっと人が現れればそれはそれはびっくりする
互いが互い、犬を連れた老人と私は声を上げて飛び上がった





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めったに人の訪れることのない古い神社で別に悪いことをしていたわけでもないのに妙にうろたえて言い訳がましくしゃべっている私がいる。前からこの神社が気になっていたこと、思わず行き当たってうれしくて上ってきたことなど

老人も、私がこの忘れられたお社に興味を持っていることにうれしく思ったのか守屋神社の来歴をポツリポツリと話し始めた

さて、この守屋神社にまつわる老人の話
聞けば聞くほどその謎は深まってゆく







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この神社が物部守屋を祭っていることは先に述べた。鳥居の額にも物部守屋神社としっかり書かれている。今から1400年前、蘇我馬子との権力抗争に敗れ、都を追われた物部一族の一集団が縁故を頼ってたどり着いたのがこの地だという。その縁故というのが諏訪大社の神官をつかさどる守矢氏、もしくは諏訪氏だったのか、それは定かではないが中央を追われた一族は遠い信州の地まで命からがらたどり着いたわけだ。しかしながら、朝廷に敗れ落ち延びてきた物部氏はいわば逆賊、都での戦に破れた恥辱に恥じ入りこの山里に身を隠しその姓を守屋と改めてこの地に隠れ住んだ。そしてのちに、彼らの始祖、物部守屋を祭ったのがこの神社であると老人の言によればそういうことになるようなのだ・・・・ が、しかしちょっとまって欲しい。元来、この守屋山は諏訪大社のご神体、その神聖な御山に、いわばよそ者である物部守屋なる新参者を新たに神として祭るというのはあり得る事なのだろうか?そもそも守屋山は物部氏がたどり着く以前からモリヤの御山として長らく信仰の対象であったはずなのだ。
 整理する意味もかねて諏訪大社の宮司さんに電話で問い合わせしてみた。
すると諏訪大社の聖域、いわゆる禁足地には守屋山の山頂は実は含まれていないそうだ。現在の禁足地、諏訪大社の神聖なる聖域は現在の行政区域、現状の寺社所有地と一致しているとのことだったが、古文書等でも確認できる限り諏訪大社の聖域は大社より見渡せる範囲の守屋山東側、諏訪湖畔に面した守屋山の一部であり、一般に言われている守屋山の山体すべてが諏訪のご神体というわけではないようなのだ。さて、こうなれば、物部氏をその山腹に神として迎え入れることには支障がないように一見、見受けられる。守屋山を背にして大社と反対側に位置する守屋神社は諏訪大社とは全く別の系譜を持つ、諏訪大社とはまったく無縁な神を祭ったものということになる。
 さて、ここでさらに歴史をさかのぼってみることにしよう。現在の諏訪大社の祭神、建御名方神(たけみなかたのかみ)が国譲りの神話によって出雲の国を追われ諏訪に逃れてこの地を治め現在に至るわけだが、お諏訪様が統治するそれよりも昔、諏訪周辺を束ねていたのは古代よりの神、洩矢神(モリヤ、モレヤ)であった。洩矢神は諏訪周辺で有史以前から永らく信仰されてきた土着の神である。そこに、西より山を越えて侵入してきた建御名方神の勢力が押し寄せてくるのである。そしてこの戦によりモレヤの神は奮戦むなしく敗れ去ってしまう。建御名方神はすでに出雲の地で朝廷の神々に屈し大和の神のひとつとして延命を許されていた。その勢力が諏訪の地を掌握するということは諏訪が大和の国の一国として統治されること、永きにわたり固有の文化を固持してきた一独立国家から、大和朝廷の中央集権体制に組み込まれ、大和の国の一地方として存続することを意味する。
 ここに、出雲勢の統治する、諏訪氏の時代があらたに始まるのであるが、ここに、一つの疑問が浮かび上がってくる。これまで諏訪の国を守ってきた守矢一族、自らの領土、諏訪の地を守るために出雲勢と雌雄を決した守矢一族が、敗戦ののちもその処遇を許された上に、こともあろうか古代の神、モレヤにとってかわった大和の神、新たに建御名方神を祭った諏訪大社の神長官という最高職を授かり、以前のままの一族の権威をその後も維持し続けたこと。結果その地位は近世まで連綿と代々受け継がれることとなるのだが、その決定は極めて政治的な事案、新たな勢力が諏訪の地を首尾よく収めるために中央政府がとったコンセンサスといえばそれまでだが、とにもかくにも、ここに諏訪を統治す建御名方神の末裔、諏訪氏の治世が始まるのである。その一方で、守屋山の裏側、この諏訪大社の反対側に位置するこの守屋神社周辺のごく限られた地域で起きたことは少々事情が異なるようなのだ。先も書いたように、ここでは物部守屋なる名が振って沸いたように突然現れるのである。さて、この事実が皆さんにはどう映るだろうか、かく言う私には非常に突拍子のないことのように思われてならないのだ。守屋山をはさんだ光と影、この二つの対比に歴史的なコントラストを感じずにはいられないのだ。
 さて、ここからは想像も踏まえて私なりに考えてみることにしよう。真っ先に引っかかるのが守屋姓と守矢姓の『一文字』の違いである。古代、諏訪を統治してきた守矢一族と守屋山、山を挟んで物部守屋を祖とするのが守屋姓の一族、私には守矢と守屋の一文字の違いはただの偶然ではないように思える。すなわちそこには必然的な何か、矢を屋と違えた何かもっとほかの決定的な『事件』があったような気がしてならないのだ。守矢姓と守屋姓、先ほど守屋神社をあえて諏訪大社の裏側と記したように、この表と裏、この位置関係はもっとある必然的な対比を暗示しているのではないだろうか。すなわち、それは出雲勢が押し寄せてきたときにこの一族に起こった歴史的事件、そこには守矢一族の内部で起きた裏切りと政治的な抗争が引き起こしたある悲劇的な物語があったのではなかろうか。それはすなわち戦火のさなか洩矢神を正当な神とあがめ徹底抗戦を呼びかけたモレヤ一族と、建御名方神に降った神官一派との内部分裂、迫りくる外敵を目前にして二つに引き裂かれた諏訪の地は強力な出雲勢の力に圧倒され、善戦むなしく敗走する洩矢の残党はかつては仲間であった出雲に組する神官一族と袂を分かち、故郷を追われ長く住み慣れた諏訪の地を後に人里離れたこの地に隠れ住んだのではないだろうか。そう考えるとすべてが理にかなってごく自然な説明がつくように私には思えるのだ。守屋と一字を違えたこと、敗れたことにより信仰を奪われたこと(モリヤの祠は神官長の守る敷地内にある)、モリヤ山のふもとに新たなる神が迎え入れられたこと、守矢氏が新長官に任命されたこと・・・・ それら数々の事実の自然な成り行きのすべてが容易に説明できるように思えるのだ。遠い昔、隠れ里に身を潜めた守屋一族が後に自らの存在意義を示す為か、または滅び行く物部氏に自らを投影し共感を覚えずにはいられなかったものなのか、自らに似た境遇の物部守屋を新たに一族の祭神として迎え入れ、この山に祭ったというのがこの神社の始まりなのではないだろうか。期せずして、当時、物部氏は新興宗教の仏教派と対立し、本来の、日本古来の神こそが唯一信仰する対象であるべきとする勢力の中心であった。彼らは歴史から消えてゆこうとする洩矢神と物部氏を重合わせていたのではないだろうか。太古、守屋山を二分する宗教対立があったとしても決しておかしくはない。





ここは、ホッサマグナの交差するところでパワースポットでも有名なんだよ。旧約聖書にはモリヤという山が描かれていて、ここにたどり着いたユダヤ教徒、キリスト教徒がこの神社の興りだという人もいるんだよ」

「実は、モリヤという言葉はインドにもあるんですよ。御柱ととてもよく似たお祭りがネパールにもありますし、モリヤはヒンドゥー教のある神様をさす言葉だったりするんですよ。実は、そういうこともあってここまで登ってきたんです」


老人は一瞬嫌な顔をした。
そして、その話題には一切触れず、聖母マリアの話、ある新興宗教家から多額の寄付をいただいた話などを続けた


彼にとってはインドの神々より金髪の神様のほうが好みらしい




インドとのかかわり
これは私の全くの妄想として聞いて欲しい
 私の友人、若いインド人の留学生から聞く話としてインドの言葉、特に南インド、タミル語の中には日本語と非常によく似た、もしくは同じ発音の言葉が沢山あるという。さらに、タミル語のアルファベットは日本のあいうえおと全く同じならび、来日当初はあまりの共通点の多さにびっくりしたそうだ。タミル人はインドの先住民族、古代タミル語はサンスクリット文字よりもはるかに古い。

 話は少々それるが、インドからやってきたものは意外と多い。例えば民間信仰で有名な七福神のうちの三人はインド由来である。弁才天はインドの創造神、ブラフマーの妻、サラスヴァティーであり、毘沙門天は戦の神クベーラ、大黒天にいたってはその容姿からは全く想像もできない破壊の神、シヴァ神の化身マハーカーラ神だ。これらは、すべて仏教由来の伝承のようなので今回の事例とは切り離して考えるべきだがインドと日本、遠いようで意外と近い

 視点を日本に戻そう。諏訪大社の神官長を務めるのは代々守矢一族。守矢様は神官の長であり、かつ諏訪の神が降り立った現人神でもあられる。(諏訪大社には神殿がない、なぜならば山自体がご神体であり、神官長自身が神そのものを宿しているからである)インドではモリヤとは神様のこと。モリヤ、ムリヤ、モーリヤはガネーシャをあがめたたえる言葉なのである。そしてネパールには諏訪大社の大祭、御柱祭とそっくりなヒンドゥーのお祭り、インドラジャトラ祭がある。そしてそのネパールには『クマリ』と呼ばれる神が輪廻転生した生き神様の少女がいる。(モリヤ神の時代、一族の子供の中から現人神を選びだし、一年間神として崇めたという記録がある。その子供はその年の祭祀の日に神の信託を与えられ、幼い命は供犠としてモリヤ神の祭壇に供された。)

 老人の話では守屋神社の本堂には石の棒が収められているという。それは、インドの寺院で必ず見られる『リンガ』を連想させるではないか。さらに、洩矢神としばしば同一視されるミシャグジはここ諏訪では蛇神であるソソウ神と習合し、その姿は白蛇として現れる。それはまさにインドで言う川の神『ナーガ』であり日本で言う竜の姿、諏訪湖から流れ出づる『天竜川』である。ナーガはしばしば天気をつかさどる大蛇であり、怒ると旱魃に、なだめられると雨を降らす。守屋山頂に祭られた祠が旱魃の際の雨乞いの対象として拝まれたのに奇しくも呼応する。(巻末追記へ※)
 さらにさらに、諏訪太古の主、洩矢神(モレヤ)が建御名方神と戦ったときに使った武器は鉄の輪だという。同様に古代インドの戦士たちはチャクラムという鉄の輪で出来た武器を使用した。インド最高神の一人、ビシュヌはチャクラムをその右手に常に身につけている。そしてまた、ビシュヌと双璧をなすインド最高神の一人、シヴァは知恵の神ガネーシャ(モーリヤ)の父親、荒ぶる破壊の神、シヴァ神の名はインドでもたびたび『シワ』と発音され、東南アジアを渡って、『シワ』『シュワ』と変化する
・・・・諏訪・・・・・スワ・・・・シヴァ







「おや、この箱はなんでしょう?」

お堂の縁の下に小さな箱に入った子供用の真っ白なドレスと同じく真っ白なかわいい小さな靴が綺麗にそろえて収められている


「あ、これね、一週間ほどまえからこの本堂の前にお供えしてあったんだよ。何か悲しいことがあったんだね。そのままだと濡れてはいけないから、ここに移しておいたんだよ」



あたりはもう暗くなりかけている。
雨の音以外には何も聞こえない。
またいつか来よう。今度は晴れた青い空の下で。







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コメントご意見お待ちししています




追記
 
 先ほどインドの友達とこのことについて話していたらこんなことを。
ソソウ神のソソウって蛇の出す音を表現したんじゃない?インドでは蛇の声をそんな風に言うよ。
こうなればどんなことでも信じてしまいます。

 建御名方神の父親、大国主命はたびたび大黒天と同一視されることがある。これはその呼び名、オオクニ→ダイコクと変化したためだといわれているが・・・(先も述べたように大黒はインドのシヴァ神)
ちなみに少彦名は大国主命とは国造りで活躍した盟友、東京から移住した私、今となっては因縁めいた偶然のめぐり合わせ

 インドでは無駄遣いする人を心にクベーラ神がすんでいるという
毘沙門天はインドでは相当な浪費家らしい

 ナーガの場合はなだめると雨が降るが守屋山の場合は怒らせて雨を降らせる。
※雨乞いには東峰にある守屋神社奥宮の石祠を谷へつき落とし、神の怒りをかって雨を降らせてもらったといういささか乱暴な伝承もある。/信州山岳ガイド 信濃毎日新聞社より抜粋
おいおい、雨乞いの対象としてだけでなくこのような類似点の数々をどう捉えるべきなのか。探せば探すほどあとからあとからでてくるよ

この神社には狛犬が二対ある。鳥居の二体と本殿の二体だ。実は、本殿の狛犬は以前盗まれたことがある。老人の話だとこの村に千葉の石屋が出入りしていたときと時期を同じくして持ち去られてしまったらしい。村では仕方なく鳥居脇に狛犬を新たに据え付けたところ、ほどなくして持ち去られていた狛犬が帰ってきた。盗人に何か祟りでもあったのではないかというのが村でのもっぱらの噂である。


2015.10.2 追記
前から気になっていたことがひとつありました。それは、守矢氏がなぜ神官長という非常に高い位を受けることができたのかということです。これには二通りの考察ができると思います。
ひとつは出雲勢がこの地を収めるにあたり先住権力者の協力がぜひとも必要であったこと
もうひとつは、一部の造反がモレヤ一族の内部で起こり結果、建御名方神の勝利につながったこと。洩矢神は手に鉄の輪を、対する建御名方神がこの戦いで使ったのが藤の蔓、絡め取るには絶好の武器だと思うのですが・・・・

    
2016/06/30 追記
 太古の神、ミシャグジは一説によるとジムグリという赤い蛇、「ミ赤蛇」という字を当て、大社でジムグリを明神様と呼んでいたそうです。先日、雨の日に田圃の草を刈っていてジムグリの首をはねてしまいました。悪いことが起きないといいのですが。




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僕が少彦名を名乗るわけ

2015.12.05 (Sat)
さて、今夜も没個人的な発信になります。もし退屈だなと思った方は紹介した曲だけ聞いて行ってください。いい曲ですよ。たぶん誰も知らない


畑仕事が順々に終わって、いざ体が空いてくると自分を振り返る時間が自然と多くなります。日も暮れればもう何も音はしない。水槽の中の熱帯魚を目で追いながら、そうでなくても独りですから暗くなればだれも邪魔しない時間が訪れるというわけで。




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お化けの猫さんからお酒が届きました。彼が毎晩飲んでいるであろう関西の美酒 「呉春」
今夜は呉春を熱燗でちびちびやりながらつらつらと書いてみたいと


彼と出会ったのはあるネットゲームの世界、「三国志マスターズ」
初めて経験するネットゲームだったけどとても楽しかった。そもそも、私はゲーム自体ほとんどやらない人間だったので最初はどんなものかな、ものの試しにかじってみよう程度でした。三国戦乱の世を三国無双のつわものが盟主のもとで他国を併合し世界を平定してゆく、そんなゲームでした。右も左もわからない私は群雄割拠する、奸雄が犇めく地平線に一人ぽつんと城を築いては見たものの、さてこれからどうするか?

そんなときに私の領地を虎視眈々とうかがう不気味な存在に気が付いたのです。私は、まだまだ一戸の小城を与る名もない地方豪族、相手はすでに平原を延べる古参の一大勢力、攻め込まれるはわが世の終わりは必定、ここはひとつ懐柔策で物腰柔らかに、しかしながら慇懃無礼に、早馬を差し向けてかの盟主にふみを届けさせたのですな。日の出る国より日のいる国へ…聖徳太子のなさったように。

ふみをしたため二日後には返答があり申した。よもや宣戦布告の知らせかと震える手でそのこよりを開いてみれば・・・・

「そなたを盟主として国を興し、このわたくし、この三国をわが力で殿の手に奉りましょうぞ」

さすがの私もこれには驚き申した
三顧の礼とはまさにこのこと。それからのち、名軍師、お化けの猫殿、当時はごんぎつねと名乗っておったが、軍師殿の采配によって、我ら常世の国に集いし豪傑らの活躍目覚ましく、気づけば押しも押されぬ三国の雄にのし上がっていたというのが事の大事。その時に名乗っていたのが「常世神少彦名」

少彦名という神様を知ったのは確か中学生のころ、「常世の虫」という民俗学の本からです。東北の片田舎(当時は朝廷に伍す一大経済圏があったとか)で大生部多が芋虫を神と崇め中央に反乱を起こした次第が書かれた本、通説では静岡富士川あたりの反乱だと、常世虫もキアゲハの幼虫だといわれていますが、この本の中では舞台は東北、今の中尊寺周辺、常世の虫もアゲハではなくお蚕(シンジュサン)だったように記憶しています (どうかこの本をご存じの方は是非お知らせください)
蛾の衣をまとい常世の国からやってきたのが少彦名、彼は国造りの神、ゲームの中で神様を名乗れば少々のことはみんな許してくれるかな?そんなことで、かのゲームを始めるにあたって僭越ながら少彦名神のお名前を頂戴いたしました。

 追記12/7
 先ほどまで義経と中尊寺の話がテレビでやっていましたね。義経は私が初めて読んだ歴史物の主人公、子供の時からのヒーローです。「常世の虫」の中でも中尊寺と常世の国の関係に触れていました。不死の世界、極楽浄土の王国。義経も少彦名も背丈の小さな紅顔の美少年。無意識のうちに二人を重ねてみていたのかもしれません



さて、我が常世の国は100名を超える猛者が集う一大勢力にのし上がっていくわけですが、それを統率する当の本人は、自身の仕事や生活に夢も見いだせず、すっかり自信を失い、いわば自暴自棄で自堕落な生活をしているつまらぬ者でした。仕事もままならず、そのうえ先の震災で今後どのようにしていけばいいのか?きっと考えるのもすっかり嫌になっていたと思います。そんな時に私に自信を与えてくれたのが「お化けの猫」さんだったのです。
たかがゲーム、それでもたくさんの人が私の言葉に耳を傾けてくれる。大勢の人が私をしたって集まってくれている。勘違いでもこんなにうれしいことはそうそうないです。このとき、私には「常世神少彦名」が憑依していたんですね。ウルトラマンも、モロボシ・ダンもそんな感じでしょ?


当該ゲーム内 常世の国同盟発信 全同盟員に配信した一文

エイプリルフールはどんな嘘をついたかな。常世国主親常世神少彦名じゃ。
皆は今回のミッションはクリアできたかな。わしは、寝起きの一発で撃破してみせたわ。
これもすべてごんぎつね殿のご指導のおかげじゃ。わしには過ぎたる名軍師殿じゃ。
ところで、わしは皆に報告、否、告白せねばならんことがあるのじゃ。実はな、わしは今まで一介のわらじ売りであったのだが、この春、とある深山にて百姓をすることに相成った。これもあまた奸雄の目をくらます策、リアル常世の国の建設じゃ。皆のものどうかわしの門出を祝ってくれたまへ。え、なぜこんなところでこんな話をするかって?実はな、話すと長いのじゃが、ゲームの中でいろいろな人とかかわりながら自然と『農業をやってみよう!』と思うようになったからじゃ。めぐり合わせとは不思議なものよのう。
では今日も元気でがんばろう。
『TPPなんかぶっ飛ばせ!常世の国に栄光あれ!!』
昨日面白い嘘をついた、またはつかれた者は、どうか皆につぶやいてくれ。ちなみにわしはある女性にエイプリルフールに乗じて告白しようとしてできなんだった。



私が農業を決意した瞬間です。みんなに自信をいただいて立ち上がろうとする宣言ですね
こんな戯れを日々掲げて集まった同盟員に号令をかける
楽しかったしみんなも楽しんでいたみたいだし
人間をダメにするといわれるネットゲームという遊びの中でも培われる魂もあるのかなと




ネトゲーだろうが、仕事だろうが、百姓だろうが、人生は一度きり
みなさま!時間切れまでは目いっぱい楽しんでまいりましょうぞ!!






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サバとらにゃんこ酒
お化けの猫さんからの贈り物。収益の一部は猫の去勢施術等に使われる。
企画ものかなと思いつつ中身もなかなかのもの、結構いけます。
お酒飲んで猫助けて、酔狂にもほどがあるってもんだ!



ちなみにお化けの猫さんは野良猫の保護活動を積極的に行っています



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奈良の里は三輪、今西酒造の由緒正しき原酒。これおいしかった。奈良まで行って飲んでもいいくらいのお酒です

今西酒造株式会社



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【乙類】 【麦焼酎】 ひむかのくろうま 【25°】 1.8L瓶
やられましたね

ρroseρと猫さんの共作。「くろうま」っていう焼酎のラベルをいたずらして送ってきた。しばらく気が付かなかったよ。
そもそも中身は最高!そのうえで数量限定「ばかうま」ときた!
いたずらに気が付かないで飲んだ分、私にとって至高のお酒となりました





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お化けの猫会心の贈り物!

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タクシードライバー 純米原酒 720ml 喜久盛酒造 .

あのさ、タクシードライバーってさwwww
中身もガツンとくる一本!うまいんだなこれが
ねえ、美味しいとかえって駄目じゃない?タクシードライバー








今夜も本当に独り言でも、こうやって思い返すと本当にみんなありがとうって心から思います




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蔵の片隅で見つけた石油火鉢で温めた「呉春」をぽけっと39が送ってくれた自性寺焼のおちょこで渇いたのどに流し込む
最高の夜





The Gist - Love At First Sight



私が知ってる限りの最強のラブソング
僕にとってはほかのどんなヒット曲にも負けない真の名曲。
この切ない代えがたい調べは今夜のこの感じにぴったりかなと
だれかこれ以上の名曲があるならどうか私に教えてください





The Gist
Philip and Stuart Moxham フィリップ・マックスハムとスチュアート・マックスハムの兄弟で結成した80年代イギリスのバンド。Young Marble Giants / ヤング・マーブル・ジャイアンツからの派生バンドといったほうがまだわかりやすいかもしれません。Y.M.Gは元祖ヘタウマ、今の歌ものJ-POPの根っこの根っこに流れてる源流、今でも根強いファンが存在するコアなグループです。Y.M.Gのボーカル、アリソン・スタットン / Alison Statton はウイークエンド / Weekend でメジャーミュージシャンの仲間入りを見事果たしました。かたやアリソンと離れたマックスハム兄弟のザ・ジストもコアなファンが追いかける知る人ぞ知る地味な存在ではありますが、こういったバンドほど本当にいい曲を作るんです。このころ活動していたメジャーなバンドってどんな人がいましたっけ?一人でも多くの人に聞いてもらいたい。そんな気にさせるひっそり輝く音楽家です 。





young marble giants - final day



Young Marble Giants -The Clock



Weekend - Summerdays














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