謎の守屋神社-インドと古代日本との関わりについての一考察

2016.06.26 (Sun)
2016/06/26 
今、NHKで御柱を放送してました
ただ引っ張ってるところを映してたのかと思ったらとてもいい番組になっていました
祭りの間、いろんなことがあったので見ないでおこうと思いながらやっぱり見てしまいました
で、見た後の感想ですって?
諏訪に引っ越して本当によかったなと

御柱の謎に関する過去の記事です
しばらくトップに置いておきます




2015/06/10の記事


高遠城址をあとにして、突如少彦名を襲う春の嵐
雷が鳴り、行く手を遮る灰色の霧を抜けると
そこには、打ち捨てられた古い神社の鳥居がぽっかりと口を開いているのでした

『桜露』より続き


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守屋神社/物部守屋神社
諏訪湖の南、守屋山を隔てて諏訪大社の裏側に位置する
物部守屋の一族が蘇我との戦に破れたどり着いたこの地で開山したと言う伝説が伝わっている




さて、以前よりこの守屋神社には多少の興味を持っていた少彦名
元来方向音痴の私が偶然出くわしたこの好機を逃す手はございません
あわや通り越したスバルサンバートラックのきびすをドリフトさながら取って返し鳥居の傍らに倉卒の車輪を休めたのであります

 
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さて、飛び出だすのはあやかしか妖怪変化か・・・・・・
なぜか気になるアルミ製の妖怪ポスト



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赤松がくねくねとからまる雨の参道を音も立てずに上って行きます




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程なく行くとお堂が見えてきました
人里はなれた峠道
あたりの雰囲気と比べると非常に重厚な立派なものです





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さらに上を見上げれば本堂と思われる切妻作りのお社が見えてまいりました

諏訪の地に来て覚えたのはどんな神社でも立派な本殿と思しき建物の奥に必ず正真の本殿が控えていることを






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逸るその足を石段の水溜りにおとしながら電池の切れ掛かったカメラを小脇にかかえた少彦名
やがて雨にぬれた石段の頂上はうつむく視線に途切れ赤く松葉の敷き詰めた境内が視界に広がったかと思うと

『あっ!』

『あっ!あ!!』

冷たい雨に濡れ日が落ちかけた森のお堂からぬっと人が現れればそれはそれはびっくりする
互いが互い、犬を連れた老人と私は声を上げて飛び上がった





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めったに人の訪れることのない古い神社で別に悪いことをしていたわけでもないのに妙にうろたえて言い訳がましくしゃべっている私がいる。前からこの神社が気になっていたこと、思わず行き当たってうれしくて上ってきたことなど

老人も、私がこの忘れられたお社に興味を持っていることにうれしく思ったのか守屋神社の来歴をポツリポツリと話し始めた

さて、この守屋神社にまつわる老人の話
聞けば聞くほどその謎は深まってゆく







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この神社が物部守屋を祭っていることは先に述べた。鳥居の額にも物部守屋神社としっかり書かれている。今から1400年前、蘇我馬子との権力抗争に敗れ、都を追われた物部一族の一集団が縁故を頼ってたどり着いたのがこの地だという。その縁故というのが諏訪大社の神官をつかさどる守矢氏、もしくは諏訪氏だったのか、それは定かではないが中央を追われた一族は遠い信州の地まで命からがらたどり着いたわけだ。しかしながら、朝廷に敗れ落ち延びてきた物部氏はいわば逆賊、都での戦に破れた恥辱に恥じ入りこの山里に身を隠しその姓を守屋と改めてこの地に隠れ住んだ。そしてのちに、彼らの始祖、物部守屋を祭ったのがこの神社であると老人の言によればそういうことになるようなのだ・・・・ が、しかしちょっとまって欲しい。元来、この守屋山は諏訪大社のご神体、その神聖な御山に、いわばよそ者である物部守屋なる新参者を新たに神として祭るというのはあり得る事なのだろうか?そもそも守屋山は物部氏がたどり着く以前からモリヤの御山として長らく信仰の対象であったはずなのだ。
 整理する意味もかねて諏訪大社の宮司さんに電話で問い合わせしてみた。
すると諏訪大社の聖域、いわゆる禁足地には守屋山の山頂は実は含まれていないそうだ。現在の禁足地、諏訪大社の神聖なる聖域は現在の行政区域、現状の寺社所有地と一致しているとのことだったが、古文書等でも確認できる限り諏訪大社の聖域は大社より見渡せる範囲の守屋山東側、諏訪湖畔に面した守屋山の一部であり、一般に言われている守屋山の山体すべてが諏訪のご神体というわけではないようなのだ。さて、こうなれば、物部氏をその山腹に神として迎え入れることには支障がないように一見、見受けられる。守屋山を背にして大社と反対側に位置する守屋神社は諏訪大社とは全く別の系譜を持つ、諏訪大社とはまったく無縁な神を祭ったものということになる。
 さて、ここでさらに歴史をさかのぼってみることにしよう。現在の諏訪大社の祭神、建御名方神(たけみなかたのかみ)が国譲りの神話によって出雲の国を追われ諏訪に逃れてこの地を治め現在に至るわけだが、お諏訪様が統治するそれよりも昔、諏訪周辺を束ねていたのは古代よりの神、洩矢神(モリヤ、モレヤ)であった。洩矢神は諏訪周辺で有史以前から永らく信仰されてきた土着の神である。そこに、西より山を越えて侵入してきた建御名方神の勢力が押し寄せてくるのである。そしてこの戦によりモレヤの神は奮戦むなしく敗れ去ってしまう。建御名方神はすでに出雲の地で朝廷の神々に屈し大和の神のひとつとして延命を許されていた。その勢力が諏訪の地を掌握するということは諏訪が大和の国の一国として統治されること、永きにわたり固有の文化を固持してきた一独立国家から、大和朝廷の中央集権体制に組み込まれ、大和の国の一地方として存続することを意味する。
 ここに、出雲勢の統治する、諏訪氏の時代があらたに始まるのであるが、ここに、一つの疑問が浮かび上がってくる。これまで諏訪の国を守ってきた守矢一族、自らの領土、諏訪の地を守るために出雲勢と雌雄を決した守矢一族が、敗戦ののちもその処遇を許された上に、こともあろうか古代の神、モレヤにとってかわった大和の神、新たに建御名方神を祭った諏訪大社の神長官という最高職を授かり、以前のままの一族の権威をその後も維持し続けたこと。結果その地位は近世まで連綿と代々受け継がれることとなるのだが、その決定は極めて政治的な事案、新たな勢力が諏訪の地を首尾よく収めるために中央政府がとったコンセンサスといえばそれまでだが、とにもかくにも、ここに諏訪を統治す建御名方神の末裔、諏訪氏の治世が始まるのである。その一方で、守屋山の裏側、この諏訪大社の反対側に位置するこの守屋神社周辺のごく限られた地域で起きたことは少々事情が異なるようなのだ。先も書いたように、ここでは物部守屋なる名が振って沸いたように突然現れるのである。さて、この事実が皆さんにはどう映るだろうか、かく言う私には非常に突拍子のないことのように思われてならないのだ。守屋山をはさんだ光と影、この二つの対比に歴史的なコントラストを感じずにはいられないのだ。
 さて、ここからは想像も踏まえて私なりに考えてみることにしよう。真っ先に引っかかるのが守屋姓と守矢姓の『一文字』の違いである。古代、諏訪を統治してきた守矢一族と守屋山、山を挟んで物部守屋を祖とするのが守屋姓の一族、私には守矢と守屋の一文字の違いはただの偶然ではないように思える。すなわちそこには必然的な何か、矢を屋と違えた何かもっとほかの決定的な『事件』があったような気がしてならないのだ。守矢姓と守屋姓、先ほど守屋神社をあえて諏訪大社の裏側と記したように、この表と裏、この位置関係はもっとある必然的な対比を暗示しているのではないだろうか。すなわち、それは出雲勢が押し寄せてきたときにこの一族に起こった歴史的事件、そこには守矢一族の内部で起きた裏切りと政治的な抗争が引き起こしたある悲劇的な物語があったのではなかろうか。それはすなわち戦火のさなか洩矢神を正当な神とあがめ徹底抗戦を呼びかけたモレヤ一族と、建御名方神に降った神官一派との内部分裂、迫りくる外敵を目前にして二つに引き裂かれた諏訪の地は強力な出雲勢の力に圧倒され、善戦むなしく敗走する洩矢の残党はかつては仲間であった出雲に組する神官一族と袂を分かち、故郷を追われ長く住み慣れた諏訪の地を後に人里離れたこの地に隠れ住んだのではないだろうか。そう考えるとすべてが理にかなってごく自然な説明がつくように私には思えるのだ。守屋と一字を違えたこと、敗れたことにより信仰を奪われたこと(モリヤの祠は神官長の守る敷地内にある)、モリヤ山のふもとに新たなる神が迎え入れられたこと、守矢氏が新長官に任命されたこと・・・・ それら数々の事実の自然な成り行きのすべてが容易に説明できるように思えるのだ。遠い昔、隠れ里に身を潜めた守屋一族が後に自らの存在意義を示す為か、または滅び行く物部氏に自らを投影し共感を覚えずにはいられなかったものなのか、自らに似た境遇の物部守屋を新たに一族の祭神として迎え入れ、この山に祭ったというのがこの神社の始まりなのではないだろうか。期せずして、当時、物部氏は新興宗教の仏教派と対立し、本来の、日本古来の神こそが唯一信仰する対象であるべきとする勢力の中心であった。彼らは歴史から消えてゆこうとする洩矢神と物部氏を重合わせていたのではないだろうか。太古、守屋山を二分する宗教対立があったとしても決しておかしくはない。





ここは、ホッサマグナの交差するところでパワースポットでも有名なんだよ。旧約聖書にはモリヤという山が描かれていて、ここにたどり着いたユダヤ教徒、キリスト教徒がこの神社の興りだという人もいるんだよ」

「実は、モリヤという言葉はインドにもあるんですよ。御柱ととてもよく似たお祭りがネパールにもありますし、モリヤはヒンドゥー教のある神様をさす言葉だったりするんですよ。実は、そういうこともあってここまで登ってきたんです」


老人は一瞬嫌な顔をした。
そして、その話題には一切触れず、聖母マリアの話、ある新興宗教家から多額の寄付をいただいた話などを続けた


彼にとってはインドの神々より金髪の神様のほうが好みらしい




インドとのかかわり
これは私の全くの妄想として聞いて欲しい
 私の友人、若いインド人の留学生から聞く話としてインドの言葉、特に南インド、タミル語の中には日本語と非常によく似た、もしくは同じ発音の言葉が沢山あるという。さらに、タミル語のアルファベットは日本のあいうえおと全く同じならび、来日当初はあまりの共通点の多さにびっくりしたそうだ。タミル人はインドの先住民族、古代タミル語はサンスクリット文字よりもはるかに古い。

 話は少々それるが、インドからやってきたものは意外と多い。例えば民間信仰で有名な七福神のうちの三人はインド由来である。弁才天はインドの創造神、ブラフマーの妻、サラスヴァティーであり、毘沙門天は戦の神クベーラ、大黒天にいたってはその容姿からは全く想像もできない破壊の神、シヴァ神の化身マハーカーラ神だ。これらは、すべて仏教由来の伝承のようなので今回の事例とは切り離して考えるべきだがインドと日本、遠いようで意外と近い

 視点を日本に戻そう。諏訪大社の神官長を務めるのは代々守矢一族。守矢様は神官の長であり、かつ諏訪の神が降り立った現人神でもあられる。(諏訪大社には神殿がない、なぜならば山自体がご神体であり、神官長自身が神そのものを宿しているからである)インドではモリヤとは神様のこと。モリヤ、ムリヤ、モーリヤはガネーシャをあがめたたえる言葉なのである。そしてネパールには諏訪大社の大祭、御柱祭とそっくりなヒンドゥーのお祭り、インドラジャトラ祭がある。そしてそのネパールには『クマリ』と呼ばれる神が輪廻転生した生き神様の少女がいる。(モリヤ神の時代、一族の子供の中から現人神を選びだし、一年間神として崇めたという記録がある。その子供はその年の祭祀の日に神の信託を与えられ、幼い命は供犠としてモリヤ神の祭壇に供された。)

 老人の話では守屋神社の本堂には石の棒が収められているという。それは、インドの寺院で必ず見られる『リンガ』を連想させるではないか。さらに、洩矢神としばしば同一視されるミシャグジはここ諏訪では蛇神であるソソウ神と習合し、その姿は白蛇として現れる。それはまさにインドで言う川の神『ナーガ』であり日本で言う竜の姿、諏訪湖から流れ出づる『天竜川』である。ナーガはしばしば天気をつかさどる大蛇であり、怒ると旱魃に、なだめられると雨を降らす。守屋山頂に祭られた祠が旱魃の際の雨乞いの対象として拝まれたのに奇しくも呼応する。(巻末追記へ※)
 さらにさらに、諏訪太古の主、洩矢神(モレヤ)が建御名方神と戦ったときに使った武器は鉄の輪だという。同様に古代インドの戦士たちはチャクラムという鉄の輪で出来た武器を使用した。インド最高神の一人、ビシュヌはチャクラムをその右手に常に身につけている。そしてまた、ビシュヌと双璧をなすインド最高神の一人、シヴァは知恵の神ガネーシャ(モーリヤ)の父親、荒ぶる破壊の神、シヴァ神の名はインドでもたびたび『シワ』と発音され、東南アジアを渡って、『シワ』『シュワ』と変化する
・・・・諏訪・・・・・スワ・・・・シヴァ







「おや、この箱はなんでしょう?」

お堂の縁の下に小さな箱に入った子供用の真っ白なドレスと同じく真っ白なかわいい小さな靴が綺麗にそろえて収められている


「あ、これね、一週間ほどまえからこの本堂の前にお供えしてあったんだよ。何か悲しいことがあったんだね。そのままだと濡れてはいけないから、ここに移しておいたんだよ」



あたりはもう暗くなりかけている。
雨の音以外には何も聞こえない。
またいつか来よう。今度は晴れた青い空の下で。







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コメントご意見お待ちししています




追記
 
 先ほどインドの友達とこのことについて話していたらこんなことを。
ソソウ神のソソウって蛇の出す音を表現したんじゃない?インドでは蛇の声をそんな風に言うよ。
こうなればどんなことでも信じてしまいます。

 建御名方神の父親、大国主命はたびたび大黒天と同一視されることがある。これはその呼び名、オオクニ→ダイコクと変化したためだといわれているが・・・(先も述べたように大黒はインドのシヴァ神)
ちなみに少彦名は大国主命とは国造りで活躍した盟友、東京から移住した私、今となっては因縁めいた偶然のめぐり合わせ

 インドでは無駄遣いする人を心にクベーラ神がすんでいるという
毘沙門天はインドでは相当な浪費家らしい

 ナーガの場合はなだめると雨が降るが守屋山の場合は怒らせて雨を降らせる。
※雨乞いには東峰にある守屋神社奥宮の石祠を谷へつき落とし、神の怒りをかって雨を降らせてもらったといういささか乱暴な伝承もある。/信州山岳ガイド 信濃毎日新聞社より抜粋
おいおい、雨乞いの対象としてだけでなくこのような類似点の数々をどう捉えるべきなのか。探せば探すほどあとからあとからでてくるよ

この神社には狛犬が二対ある。鳥居の二体と本殿の二体だ。実は、本殿の狛犬は以前盗まれたことがある。老人の話だとこの村に千葉の石屋が出入りしていたときと時期を同じくして持ち去られてしまったらしい。村では仕方なく鳥居脇に狛犬を新たに据え付けたところ、ほどなくして持ち去られていた狛犬が帰ってきた。盗人に何か祟りでもあったのではないかというのが村でのもっぱらの噂である。


2015.10.2 追記
前から気になっていたことがひとつありました。それは、守矢氏がなぜ神官長という非常に高い位を受けることができたのかということです。これには二通りの考察ができると思います。
ひとつは出雲勢がこの地を収めるにあたり先住権力者の協力がぜひとも必要であったこと
もうひとつは、一部の造反がモレヤ一族の内部で起こり結果、建御名方神の勝利につながったこと。洩矢神は手に鉄の輪を、対する建御名方神がこの戦いで使ったのが藤の蔓、絡め取るには絶好の武器だと思うのですが・・・・

    
2016/06/30 追記
 太古の神、ミシャグジは一説によるとジムグリという赤い蛇、「ミ赤蛇」という字を当て、大社でジムグリを明神様と呼んでいたそうです。先日、雨の日に田圃の草を刈っていてジムグリの首をはねてしまいました。悪いことが起きないといいのですが。




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小宮、御柱切り出し

2016.06.18 (Sat)
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ムスクマロウとスカーレット・ベルガモット
この花が咲きだすといよいよ夏がやってきます








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今日は村の神社の御柱
四本の柱を山から切りだすのにチェーンソー片手に朝から皆さん集まりました







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小宮祭、今年一年で何百、何千という柱が、神社、八幡様、お稲荷さん、道祖神や庚申様に至るまで、諏訪周辺では至る所モミの大木が曳きまわされ建てられる






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みんな揃ってワイワイガヤガヤ、ああでもないこうでもないともめながらも仲良く4本切り出しました







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一の柱が直径43センチ
上社の本一に比べればかわいいものですがそれでもいつものより太いそうです






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お祭りは9月に入ってから
それまでここでお休みです





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DILMANO DILBERO





ブルガリアンボイス、その中でも大好きな一曲、一時期この曲、この一曲だけ何回も何回も毎日聞いていたことがありました
こういった曲を聴くとクラシックだろうが歌謡曲だろうがロックだろうが、たかが十二個の鍵盤の中で遊んでいるだけのものとつくづく感じます。西洋音楽の理論で譜面に落とせば、長野で言えば木曽節のような民謡や御柱の木やり唄だって豪華なグランドピアノの上であっても、即座に陳腐で稚拙なメロディーになってしまう。そんなちっぽけで限られた音の世界の中で、ジャンルだとか流行だとか好みだとか、芸術も、味覚も、音楽も、すべてが言葉、美しいという言葉を理解していなければ美しさの何たるかはわかるべくもなく・・・・僕は死ぬまでにどれだけの美しいものに出会うことができるだろうか。
そんなことまで考えさせる不思議な歌声です。





Kalimankou Denkou






ミヤンマーに行ったときにビアガーデンで大好きなチャンビールを飲みながら民族音楽のライブを見ました。ハルモニウムが編成の中に入っていたのですが西洋の音階はミヤンマーの古典音楽に調和するはずもなく、まれにみるとんでもないことになっていました。









本宮一 建御柱 事故

2016.05.24 (Tue)
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青空に天高く立ち上がる本宮一之御柱
それは本当に素晴らしく誇らしい風景でした



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その日は空はすっきりと晴れ渡って入るのですが時折強風の吹き荒れるいやな天気でした
こんなに強い風の中、いったい無事に御柱が建ちあがるのか、皆、口には出さないけれどきっと同じ心配をしていました



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長く、厳かな神事の後、斧取りによる冠落しの儀が始まりました
一時間をかけて御柱の頭を三角錐に切り落としてゆきます



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その間を木遣りがなき、ラッパ隊が斧に力を与えます

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古風なお祭りに軍隊式の突撃ラッパ
最初は非常に異様な、奇妙な違和感を感じました
そもそも喇叭隊も新しいものなんだろうと思いいろいろと老人たちに聞いてみるとやはり戦時中から導入されたスタイルのようです
御柱祭りは戦前戦中もとだえることなくここ諏訪の地で行われていました
しかし、戦争でほとんど多くの成年男子が兵隊にとられてしまう中、女子や老人だけのお祭りでは寂しかろうと祭りに威勢を加えるために街の消防団がはじめたのが喇叭隊の始まりだそうです
今では御柱祭りにはなくてはならない存在になっています






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祭の喧騒とは裏腹に、境内は参拝者もなくひっそりと静まり返っています


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時折吹き荒れる強い風に、山がどーどーとなっています



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諏訪大社は神殿のない原初的な様式を保つ神社
他社と比べてこじんまりとした質素なつくりではありますが、おのずと居住まいを正す厳かさがあります





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いよいよ、運命の建て御柱が始まります


先ほどまでの風もピタリとやみました
これは吉報なのでしょうか
その時はだれもがそう思っていたはずです




運命のと書いたのはこの後事故が起きてしまったからです
全国放送で日本中の人が知ってる事実なのでここに書いています
しかし私が改めて書いているのは何のためなのでしょう。こうして書いている間も自問自答するばかりです
きっと自分のために書いている。そう思うようにします。あの時の景色が胸につかえるとげのようにいつも心に引っかかっています
書くことで忘れることはないでしょうが、書かなければ前に進めない
読んでいただいているみなさんのために書いているのとはきっと違うのだと、自分の身勝手から描いているのだと思います



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二時間かけてゆっくり立ち上がってゆく巨大な柱、
まさに見事の一言でした。
青い空にオンべの赤い房の色、揺れる木の葉の間に命や時間やこの世のすべてのものが凝縮し集まり形になってゆく。
ラッパや、木遣りや人々の歓声に割れんばかりの境内なのにとても静かな恭しい光景です。



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見事直立する御柱
奇祭、諏訪の御柱祭り
氏子たちの思いが形になった瞬間です







後記
もし、あんなに大勢乗らなかったら、もし二時間もかけなかったら、もし最初の時間から乗っていなければ、もし御柱の縄足場撤去を建てかたの鳶がやっていたら、もし警察が時間厳守などといわなかったら、もし下にパワーシャベル機が置いていなかったら、もしヘルメットをかぶっていたなら
あんな事故にならずに済んだかもしれません
私は若いころ鳶もやった身です。片付け作業、撤去作業を行うときは細心の注意を払います。撤去作業は建てるときよりも数十倍恐ろしい、それこそ何が起きるかわからないのです。ですから、落ちた時にきっと立て方の職人が落ちたのだと思っていました。それならばただの不注意、業務上伴う仕方のないことかもしれない、そう思うようにしました。しかしまさか、なにも知らない素人に(失礼な言い方かもしれませんが)やらせていたとは夢にも思いませんでした。それを聞いたとき、いくらお祭りでもと怒りがわいたものです。
すべてが終わり、大総代の「99%は今まさに無事に終わりました、あと一パーセント事故のないようにお願いします!ありがとうございました!!」先ほどの万歳三唱でこの祭りは幕を下ろすはずでした。
昼間食べられなかった弁当を食べ終わり境内に踵を介した瞬間、「ドーン」という大きな地響きが起こりました。
『落ちた!!』
瞬時に判断したのは以前経験したことがあるから、あんな音は人が落ちるほかに聞いたことがありません。
御柱をけん引したワイヤーが揺れています。皆が柱を見つめたまま固まっています。女性が涙目で彼のはっぴに顔をうずめています。顔色を変えて駆けつける若者たち。男泣きに泣いている人もいます。
ああ、本当の事なんだ。
同じ村の先輩の足元に落ちてきた、その彼は、『きっと駄目だろう』と青ざめた顔で言っていました。近所でも幸い私の知った人ではなかった。だから、今回掲載した写真に写っていたとしてもわかりません
ついにいたたまれなくなり境内の外に出ました
「飲んできます」
昼間、仲間と一緒にこっそり抜け出して、生ビールを飲んだ大きな広間
夕日の中、今座っているのは私だけ
缶ビールを飲みながら涙が出てきました。最後の最後に御柱を穢してしまった悔しさと、のんきに弁当を食っていた間中、彼は一生懸命柱の上で自分の役割を果たそうとして必死だったことへの申しわけなさと。

最後の写真ありますね
あの時、あの柱の前にかかった境内の木の枝を切り落としました
随分乱暴なことをするなと思ってみてましたが誰かが指示したのでしょう
その木を切ったのが彼だったそうです


















最後の曳航 本宮一之御柱 

2016.05.19 (Thu)
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昨夜のあらしのような雨はすっかり上がって今日は朝から天をつく日本晴れ

いよいよ本宮一之御柱が上社を目指して動き出します





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朝一番の木遣り唄も俄然気合が入ります







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こちらも気合十分の木遣りのお姉さま
わかりますでしょうか?
頭の剃り込にははっきりと『本一』の文字が!



さて、私、裏方のチョイ役ではありますが皆さんに負けないように気合を入れて頑張っていきたいと思います
と、動き出しの準備を整えている矢先、柱の後方が嫌に騒々しい。氏子たちもそちらの方角に駆けていきます。
何やら、これはただ事ではありません。






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つっかけです!
後ろの柱の若い衆が本宮一めがけて突っ込んできます。その数ざっと50人!応戦するは同じく本宮一の柱、精鋭の梃子持ち衆、当然手にはあの長く太い梃子棒を振りかざして!
これはただではすみません!








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つっかけるとは前の柱が動かないことに業を煮やした梃子持ち衆が梃子棒を片手に前の柱に襲いかかること。お互いに長いこん棒で殴りあうのですからどんな悲惨なことになるかはたやすく想像がつきます。
その昔、御柱祭りはけんか祭りと称されました。柱を曳航する間、間断なく酒を飲み続け気合を入れまくる、以前、この突っ掛けで殴り殺された人もいるとかいないとか








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と、よくよく見ればなぜか皆さん満面の笑顔
そうなんです、これ、ただのデモンストレーション。二の柱の氏子さんたちがわざわざ大挙してあいさつに来てくれたのです。
そして、最後は敵味方、入り乱れて勝利の万歳三唱、
今日も楽しい一日になりそうです









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本宮に近づくに従って街道は狭く、綱を引く群衆も逃げる場所がありません


「 ヨイテコショー  ヨイサー 」


神の巨木が人々を押しのけて一歩一歩進んできます








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柱の到来を今か今かと待ち構える氏子たち








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お柱を迎えるために境内で打ち鳴らされる太鼓
祭の盛り上がりも最高潮に達します







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太鼓橋を越え、ついに鳥居の目前までやってまいりました
振り上げられるGOサインの白旗
しかし、この狭い鳥居
どうやって通り抜けるのでしょうか






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一人ひとりの気持ちが一つになる瞬間






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そんな瞬間を私はこのお祭りで何度も見てきました









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大木の間を縫うようにして進む一之御柱
メドデコにつないだ綱を曳く命綱の若者たち。
決して表に出ない目立たない存在ですが、その名の通り、皆の命をあずかるとても大切な役割です







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難所を一つ一つ乗り越えて、そのたびに湧き上がるどよめきと歓声。
歓喜に包まれながら、本宮一之御柱が最後の曳航を続けます









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柱を曳く氏子たちを迎え入れる木遣りの声
いよいよ、お柱の長い旅も終わりに近づいてきました








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境内に姿を現した本宮一の御柱
改めてみても巨大な柱です









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無事、柱を本宮に送り届けた氏子の力

木遣りの声も突撃ラッパも皆の歓声も
言葉に言い表せないくらい誇らしげです









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御柱 里曳き

2016.05.18 (Wed)

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五月三日
御柱山出しから一か月
諏訪の町中を大木が列をなして上社本宮、前宮を目指す里曳きが始まりました







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心なしか木遣りの鳴き声も明るく軽やか

山出しは大木を山から切り出す神様のためのお祭り
里曳きは危険に身をさらして苦労して山から大木を運び出した氏子たちへの神様の贈り物

氏子たちのための華やかなお祭りです






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奉納騎馬の行列が御柱祭りに華を添えます







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かわいいちっちゃなお殿様
その昔、諏訪の殿様もこうして家臣を従えて山を下りる御柱に参詣したのでしょうか








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本宮から大社の神様がお舟に乗って柱を迎えにいらっしゃいました
これが見れるのは上社の本宮一之御柱だけです
実に我々豊田四賀の氏子たちにとっては百年ぶりのことになります







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お舟が出るとは聞いていましたが本当に船に乗って神様が降りてくるとは思っていませんでした





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ここで、ちょっとした神道雑学をば

上の写真で見えるお舟の山づくり衆、白装束の氏子が担いでいるのは榊かな、と思いきや、なんだかちょっと違う。光沢もないし葉っぱは薄くて何とも春らしいさわやかな若木、目を凝らしてもとげとげしていない。いったい何の木の枝だろうと思って神主さんに聞いてみました。
すると、諏訪の地は標高が高くてとても寒いところ、榊のような温帯系の常緑樹は枯れて育たないそうです。その代用としてそよご(諏訪の地ではそよぎ)というモチノキ科の植物を使うとのこと。そよごの他にも、東北やここのような高冷地ではイチイなどもしばしばサカキの代用として神事に使われるそうです。しかし代用とはいっても、そもそも、「榊」という文字は神事でよく使われる木、ということで生まれた当て字、中国から渡ってきた漢字とは成り立ちが違うようです。玉ぐしに使う「榊」は必ずしもいわゆるサカキである必要はないようです。
(仮説妄想:神事に北の寒い地方では育たないサカキを使うということは、「神道」の起源が日本西部、もしくは南方起源の宗教だということの裏付けになるのではないでしょうか)







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御柱祭りで一番の美人さん
この小さい体で天高らかに木遣りをうたい大木を動かす木遣り唄の名手、このチャーミングな笑顔のどこにそんなパワーが隠されているのでしょう
手に持っているのは木遣りの必須アイテム、おんべ、木遣りを鳴くときに空高く振りかざして天まで届けとばかりに声を張り上げうたいあげます。
こうして女の子の写真がたくさん撮れるってことは私少彦名が初めての山出しの緊張感から解放されたってこと。

あ、そうだ、彼女の名前聞くの忘れた。
こういうところが私、すくなひこなの詰めの甘さです。









御柱始まって以来の巨大な大木が諏訪の街を優雅にゆっくりと進んでゆきます



  






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御柱が通るのを今か今かと待ち構える町衆のためにお囃子や太鼓が祭りを盛り上げます。踊りが出て舞が出て、沿道には多くの屋台が立ち並ぶ、諏訪全体のにぎわいがこの日、この場所に一時に集まったようです







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以前、インド映画の撮影に和装で参加いただいた御嬢さん
カメラを向けられたら恥ずかしそうに下を向きました

SAAHASAM in 松本 2015.6.25





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本日の行程は無事終了
木遣り唄と乗り手の掛け声と群衆の合いの手と、大地が盛り上がるような興奮です
長い長い御柱の道のりももうすぐ終わり
いよいよ明日、上社本宮境内にむかって御柱を神様のもとへお届けします






御柱 木遣り









御柱

2016.05.11 (Wed)
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本宮一之御柱
事故が起きてしまいました
目の前でした。

帰り道に撮った芝桜の写真です
夕日がとてもきれいな午後でした

とても楽しく素晴らしいお祭りでした
ですから記事は書こうと思います
しっかりと書いて残そうと思っています









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本宮一之御柱 山出し

2016.05.02 (Mon)
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御柱祭り、本宮一之御柱山出し
ここに帰ってくるのに振り返ってみれば一か月
すっかり御柱に魂を抜かれていました




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いろいろと書きたいことがありすぎて自分の器をはるかに超えてしまったとういうことです
ただ、書かないと前に進めないのも事実なのでとにかく写真だけでも皆さん、見てくださいね





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この一か月、私、なにをしていたかというと、祭りが終わったその日に東京へ打ち合わせに、御柱祭りの熱狂と久々の都会の華やかさに正気を失い、ミーティングに現れたインド人スタッフからインフルエンザをうつされ、熱で浮かされている最中も問答無用に迫ってくる農繁期に備えて畑の準備やら苗の調達やら、次回の映画の段取りやら。ここにきてようやっと咳も収まったところ。
おんばしらの記事を書くのも何か変な責任感からか大いに持て余してしまい、痙攣の止まらない思考停止のような、まさに抜け殻のような腑抜けた状態でありました







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同じく、正気を失っているみなさん
一之御柱、木落の瞬間を今か今かと見守る氏子達





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こうして写真を見ながら振り返ってみるといろいろな感情が湧き上がってきます
あの二日間の興奮と、参加したことへの重責と、群衆の中の恍惚と
実は写真を見返すのも今日が初めて、様々な複雑な想いが絡み付いてきます






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今まさに坂を下り落ちようとする御柱
次の瞬間、御柱は目の前を凄まじい土ぼこりを巻き上げて滑り落ちていきます
目の前で命綱をあずかる氏子たちがその勢いに耐え切れず御柱と一緒に転げ落ち、宙を舞っている

あまりのことに実際のところは目の前で何が起きたのかあまり覚えていないのです






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坂を滑り落ち大曲を越え川を渡る、全二日間の日程
方々で木遣り歌が湧き上がり、軍楽隊のラッパが響き渡る
天変地異のような大地が狂ったようです






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一致団結して大きな柱を一心に運び出す
日本人の底力






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ヤマノカミサマオネガイダー

皆の無事を祈る木遣り歌
その意味を心底理解した怒涛の二日間
祭というものはいつの時代も少なからず狂気じみています





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地鳴りのような掛け声で道を突き進む御柱
怒号が飛び交い、歓声が沸き起こり、皆が一斉に息をのむ

こんな表現は少し不謹慎で興ざめかもしれませんが、荒っぽい職人たちの巨大な建築現場が群衆を呑みこみながら街を転がり落ちてゆく
こんなたとえ方でももしかしたらその場の雰囲気が伝わるかもしれない






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川越も無事に、曳航を終え歓喜に包まれる一之御柱
私の役回りはいったい祭の役に立ったのだろうか
少し距離を置いて見つめる自分がいる

さて、明日は里曳
朝は3時から起き出さないといけません





初日 御柱 

2016.04.02 (Sat)
ヤマノカミサマー
オヤスミーナサイー



夕やみ迫る小山の上で木遣りの声が今日の祭りの終わりを告げる

明日は木落し、そして川越
落ち着いたら書きます


おやすみなさい

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御柱 修祓式

2016.03.29 (Tue)
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豊田地区の修祓式
修祓式とは祭りを行うに当たり氏子たちの無事と祭りの成功を願う神事の事
いわば出陣式、いよいよ本日からが御柱祭の本番ということです



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地区ごとのはっぴを羽織り祭りの正装で居並んだ氏子たち
何もかも初めての私でもいよいよだなという気持ちが湧き上がってきます


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御柱に華を添えるラッパ隊の演奏
御柱のお祭りはお囃子で景気をとるのではなく軍隊式の突撃ラッパが氏子の威勢をあおります
毎回、当たり前に死人が出る激しい祭り
当初は祭りに楽隊とはおかしなものだと思っていましたが参加するものとしては元気が出てこれはこれで張り合いです




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豊田、四賀地区で本宮一之御柱を引き当てたのは実に96年目の事
初めての祭りが百年に一度の幸運、幸せなことと思うほかはありません


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そのうえ今年の本一は過去に例のないほどの巨木、今までで一番太い大木だそうです
本一の名誉に負けないように力を合わせて曳かねばなりません



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神前にとぐろを巻いて出番を待つ曳綱
手前に並ぶのは方向転換に使う梃子棒、上社の御朱印の入った神聖な棍棒です



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一人白装束に身を固め御幣を掲げる北澤聖顕さん
御幣もちは一地区にたった一人の大役
雨が降ろうがやりが降ろうがたとえその身が危うくなってもこの祭りの間大事な御幣を地面に投げ出すことはありません
その引き締まった表情に彼の責任の重さを感じます



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泣いても笑っても御柱まであと一週間
まったくのぶっつけ本番、気を引き締めて向かわねばなりません



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めどとり

2016.02.27 (Sat)
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上野の山から御柱のめどでこを伐採するのは昔からの習わし
朝八時から村のコダマ様にはっぴを羽織って集まった




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蚕玉と書いてコダマと読む。この辺りは昔から養蚕が盛んな場所でその歴史は平安以前にさかのぼるという
私の家の二階にも昔蚕を飼っていたお蚕部屋がある。




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日本はシルクロードの東の端の国
かつて日本は桑の生い茂る絹の国として知られていた
伝説の大木から日が昇り出る扶桑の国、そういえば扶桑という名の巨大戦艦が昔あったっけ

そんなことを考えていたら諏訪湖の衆が三々五々大挙して山を登ってきた





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目星をつけていた木を斧持ち衆が品定めをする
斧方(よきかた)とはその名の通り斧に関する行事に携わる方々、木落の追い掛け綱を切るのは斧方の見せ場、お祭りの実行委員会ともいえる中心で活躍する氏子たちだ




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四本のめどでこを上野の山からとる
上社の御柱には前後二本ずつ四本のめどでこが立つ
しかし切り出されるのは四本ばかりではないそうだ
山出し用に切り出す長いメドデコ、里曳きのための短いもの、長いままだと電柱なんかに引っかかってしまう。それと折れてしまった場合の予備のメドデコ。ちなみに御柱が樅の大木なのに対してメドデコは固い楢の木だそうだ




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取るといえば先日の月曜日、22日の深夜、泥棒に入られた。
村全体で100本近く、草刈り機からチェーンソーからごっそり盗まれた
幸い、私の家はひとつ通りから奥まっていたので被害はなかったが両隣は大事にしていた農機具を持ってかれてしまった




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それでもみんな笑っていた
お前んとこもやられたかと笑っていた
わざわざ遠くからこんな山奥に来てお年寄りの大事なものを盗んでゆく
この村は幸せな村だ。そんなに困っているのなら、幸せの一つや二つ分けてあげたのに
それをこそこそと闇夜に紛れて盗んでゆく
卑怯な人たちだ
彼らはきっととても不幸な人間たちなんだろう
そして、心入れ替えなければいつまでも救われることはない
幸せとは無縁の悲しい人たち






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切り出した楢の木の皮をむいてゆく
信州の男は働き者だ
なので仕事に割って入ることができない
おかげでこうやって写真を撮っていられる




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今日も無事、一人のけが人もなく作業が終わった
大して作業の足しになったわけでもないが『枯れ木も山の賑わい』私も少しばかりのにぎやかしいにはなったでしょうか
これを読んでくださる皆さんの何人かでも御柱祭に来てもらえればお諏訪さんのお役にたてたのかなと

そして、これを読むかもしれない草刈り機を盗んでいった盗人の皆さん
お祭り当日は心を入れ替え美しい心でぜひ諏訪の御柱に遊びにおいでなして




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