ショーケン

2019.03.29 (Fri)
83e839383v6.jpg



萩原健一が亡くなった。
グループサウンズは両親世代のアイドルですが、父所有のドーナツ盤が何枚かあったからなのか、知らず知らずに耳にしていたショーケンの歌声が、物心ついた時からショーケンは大好きなミュージシャンでした。あの細い体でしなやかに歌う姿は、正真正銘、日本で最初のオリジナル・パンクスはショーケンだったと今でも信じています。

いろいろと噂の絶えない人で、だれだったかな?大学当時の友人で映画監督を目指している人間がアシスタントか何かの時に一緒に仕事をして最悪な経験をしたといってた覚えがある。『お化けの猫』さんもだったかな?撮影の現場で一緒になったとかで非常に難しい人だったっていってた。

4月1日でブログ開設6周年です。その時の選曲どうしようかな、私の知っているラブソングの中で最強だと思っている『Love at First Sight』にしようかな、などとつらつら考えている最中でした。『Love at First Sight』はザ・ジストというイギリスのバンドの曲。萩原さんの死因も『GIST』という、このバンドと同名の珍しい病気。なんで彼らはバンド名をジストなんて病気の名前にしたんだろう。

夜勤明けで、家に帰って、さっきまでインド映画のロケハンの二日目を書きあげようとしていたら、書き上げる直前、前触れなく突然パソコンが落ちてしまって、一時間かけて書いてた、もう書き終わりかけてた記事がすべて消えてしまって、「あーあー、今日はだめ、今朝はこりゃだめだ。」と半ばあきらめてやけくそでテレビつけたら、朝のニュースでショーケンが死んだ、なんて。
このまま起きていて早く寝ないとなんだかやけくそで深酒しそうで、今夜の夜勤は二日酔いでお休み、なんてならないように。
ショーケンの歌は、グループサウンズとして活躍していた当時は全く知らないけれど、今朝、彼が亡くなったのを初めて聞いて、日本の歌手でこれほどショックを受ける人って、なぜなのか?こんなに胸が痛くなるのはショーケン以外にはいないような気がする。




ザ・テンプターズThe Tempters
/エメラルドの伝説The Legend Of Emerald







フィリピンパブで女の子に歌ってあげるとすっごい受けるんだよな。
ライブ映像でものすごくかっこいいPVを見たことがあるんだけど見つからない。誰かアップしてください。








スポンサーサイト



樹氷 北八ヶ岳

2019.02.10 (Sun)
P1018467.jpg



樹氷というものを見たことがないので‥…いや、もしかしたら村の裏山で毎日見ているものがその樹氷なのかもしれませんが‥‥・樹氷の本場、八ヶ岳に行きました。『横谷渓谷氷瀑群 』の続きです。






P1018347.jpg




冬の間はやっていないのはわかっていたのですが万が一と思って温泉『石遊の湯』を訪ねてみました。が、雪のせいで道に迷ってしまってたどり着いたのがこの牧場。後で調べたら『蓼科乗馬ファーム』という乗馬施設のようです。
馬を近くで見る機会はほとんどないですから眺めたり撫でてみたり、間近で見ていると何とも優しい目をしていて頼もしいやら可愛らしいやら。犬や猫とは違った不思議な魅力のある動物ですね。

『石遊の湯』はこの辺りでは一押しの露天のある温泉です。春になったらレポートいたしましょう。








P1018435.jpg





御射鹿池
すっかり全国区になりました。東山魁夷の絵が中学校の教科書に載ってましたっけ。
何の足跡だろう。歩幅が大きいので鹿かもしれない。でも引きずって歩いているところを見ると足の短いイノシシか何か。



御射鹿池
氷瀑群 横谷渓谷 



P1018451.jpg



日差しが時折差し込む中の粉雪の冬の湖はなかなか幻想的です。





P1018455_20190210170844113.jpg





池とは「おおむね、水深5メートル未満の水たまり」なのだそうです。長野を代表するみずうみ、諏訪湖の水深はとても浅く、深いところで7メートル。平均で4メートルですからその基準でいえば『ほぼ、巨大な池』ということになりそうです。







P1018441.jpg

P1018450.jpg


御射鹿池は稲作のために作られた灌漑用溜池。酸性の温泉が流れ込んでいるためこの池では魚は生きていけません。






P1018461.jpg

P1018459_20190210135041215.jpg


他には誰もいません。
寒さで手がしびれてきました。もっとゆっくり見ていたいのですけれど。







P1018472.jpg


目的地の北八ヶ岳。
そしてこれが目的の『樹氷』
スキー客に交じって満員のロープウェイで登ってまいりました。







P1018470.jpg


標高2,237M、気温マイナス14℃。往復1900円払えば気軽に上ってこられますが侮ってはいけません。身を切るような風と膝まで沈む雪とで一歩間違えば遭難です。
ちなみに途中のセブンイレブンでロープウェイの割引券をゲット。200円引きでした。






P1018478.jpg



カラフルないでたちでさっそうと滑り降りてゆくスキー客をしり目に、何が悲しいのか、私たちは極寒の峰巒に分け入ってゆくのでした。






P1018479.jpg


後で写真を見ながら「もっといいカメラが欲しいなぁ。雪とか、真っ白のもの撮ると質感がなかなか出てこないなぁ」などとのんきに考えたりもしていますが、このときは写真を撮るのも必死で凍り付いた真っ赤な指がカメラのシャッターにくっついてしまうようで、写真を撮るたび絶叫しながらの撮影となりました。寒さにはなれた私ですが、途中カメラが変なことになるくらい、それくらいの風と寒さです。





P1018483.jpg


山頂駅から坪庭を巡るハイキングコースは約30分。何度も言いますがたかが30分と侮ってはいけません。もしも先人の歩いた足跡がなければ道標の杭も手すりも雪に埋もれてしまって、ただただ真っ白な雪原で迷って遭難してしまうかもしれません。はいてきた靴は普通の足首まであるハイカットの革靴。容赦なく靴の中に新雪がなだれ込んできます。行きかう人もまばらで、そのうえみんなストックを突いた完全防備の登山家たち。吹雪に凍える私たちのなんと惨めで場違いなこと。こんな雪山では絶対歌ってはいけないと心掛けていた八甲田山『雪の進軍』もこの非常事態では思わづ口を突いて出てしまいます。






P1018491.jpg



この30分の長いこと。帰れるとわかっていても不安になるこの寒さと荒涼とした風景。エベレスト登頂とか、よくあんな山に登ったりするものだと身をもって体験できた30分でした。






P1018486.jpg


何とか山頂駅のレストランにたどり着き、赤々と燃えたストーブでぬれた足を乾かしながらキンキンに冷えた冷たいビールを一気に飲み干す。最高の贅沢ですね。この後温泉へ直行しました。共同浴場『蓼科温泉』 このお風呂は地味ですけれどなかなかレトロで好きな温泉です。その詳細はまた別の機会に。

計らずも生きていることへの感謝の気持ちを再認識した極寒の一日でした。








LSD - Thunderclouds






エル・エス・ディー
誰もが知ってるオーストラリアの歌姫、シーアが参加するユニット。イギリスのラッパー、ラビリンス / Labrinth (Timothy Lee McKenzie)、オーストラリアの女性ミュージシャン、シーア / Sia Kate Isobelle Furler、アメリカの音楽プロデューサー、ディプロ / Diplo (Thomas Wesley Pentz Jr.)の三人によるスーパーグループ。彼らの作品の中から昨年2018年8月にリリースされた一曲『雷雲』を紹介。
ちょっとバンド名がアレですが決して薬物に関連するものではありません。バンド名は彼ら三人の頭文字、L・S・D からとったもの。しかし、PVの雰囲気やジャケットのサイケ感からして完全に『ハイな気分』を連想してしまいます。もしかしたら結成のきっかけは「おれら、三人集まったらLSDじゃん!」なんて言葉遊びのイタズラ心から始まった?そんな豪華でゆかいな極上ユニットです。
メンバーの一人、ディプロはビヨンセ、ジャスティン・ビーバー、 マドンナなど数々の一流ミュージシャンの作品を手掛けた凄腕プロデューサー。 ラビリンスとシーアも以前から度々一緒に活動することもあり、結成当初は一曲だけの即席ユニットかと思っていましたがあれよあれよと一年間で4曲の楽曲とビデオクリップをリリースしました。そして、そのビデオの中でシーアの代役を務めているのはこれもおなじみのマディー・ジーグラー / Maddie Ziegler 。現在16歳の踊る妖精です。シーアのことはジャズボーカル時代から知っていたのですが(一時期アシッドジャズだのクラブっぽいものにはまっていました。)どん底から再起した彼女のPVを初めて見たときはマディーのダンスともども天地がひっくり返るほどの衝撃でした。
今回のこのユニットでも彼女の才能はいかんなく発揮されていて、三人の個性が決してぶつかることなくうまい具合にブレンドされた、映像込みでの不思議な感覚にさせられる、これはまさに『LSD』な一曲。2019年、今年も彼らから目が離せない注目の三人組です。






シーアの名曲『シャンデリア』でのマディー・ジーグラー圧巻のパフォーマンス。ワンカメラで彼女を追う迫力には心底恐れ入りました。



Sia - Chandelier








現在『LSD』の楽曲はデータでのダウンロードのみ、アルバム等CD化はされていません。何枚かのコンピレーション・ベスト盤に収録が見られます。


【輸入盤】NOW 101 (2CD) [ NOW(コンピレーション) ]








旧湖南小学校後山分校

2019.02.02 (Sat)
P1018505.jpg



昨日から眩暈がしてふらふらする。
下を向くとぐるぐるまわる。






P1018589.jpg



夕方近くに起きだして、ふと後山のあの廃校はどうなったかなと雪道の中行ってみた。





P1018522_20190202002126737.jpg



途中雪道で滑って回転したり、道端で日向ぼっこのアトリの、車の前が見えないほどの群れに突っ込んだり。






P1018507_20190202004315ae6.jpg



どこの誰が降りるのか、山の中の停留所。
森へと続く子狐の小さな足跡。






P1018533.jpg






学校は取り壊されていました。






P1016271.jpg




美しかった在りし日の姿。
諏訪市立湖南小学校後山分校





P1018534.jpg






雪の中、近所の老人が軽トラックについた融雪の塩をホースの水で洗い流していた。








P1018598_20190202002008934.jpg




取り壊しは去年の11月。
「學校が無くなってさみしくなったなぁ」
両方の穴から鼻水を垂らしながら老人はつぶやいた。






P1018532.jpg

P1018539.jpg





通りすがりの僕。
この土地の生まれではないけれど、『一期一会』ふとした機会に知り合った今まさに去っていこうとする全てのものに。私は悔いのない愛情をあなたに注げたのだろうか。




P1016169.jpg




ps
廃校などの廃屋を文化財として存続してゆく意義、方法はあるのか。
皆さんのご意見をコメントに書き込んでください。









Tony Allen vs Troublemakers / Allen Fresh





TONY ALLEN 『EXCLUSIVE TONY』
何時、何処で購入したのか、判然としない一枚。
DJ/クリエイター井上薫が選曲したトニー・アレンのファンク色強めな曲を集めた必殺のコンピレート盤。紹介した曲は彼の参加したクラブ仕様のユニット『THE ALLENKO BROTHERHOOD ENSEMBLE』のフランス限定版12インチマキシシングルからの音源。この曲のクレジットには『Tony Allen vs Troublemakers』と書かれているので調べてみたら、『Troublemakers』とはフランスのクラブバンドらしい。
トニー・アレン 
ナイジェリア出身のジャズドラマー、作曲家。アフロビートの創始者、ジャズの一形態のようですが私にはわかりかねます。クラブミュージックと枠付けダンスホールでおしゃれに流通するこのアルバムに代表された彼のファンクな志向はあくまで彼の一側面ですが、クラブミュージックがステレオシステム音響設備によって電位的に増幅され、スピーカーやヘッドフォンを通して我々の耳に提供されるスタイリッシュな音楽のイメージを、本来はそれこそ小さなクラブの、ベース音で揺れる酒杯が並ぶ客席の手が届くほどの小さなステージでこそ生で聞いてみたい。
セッションミュージシャンとして精力的に活動するトニー・アレン。ジャズ、ファンク、ロック、音楽のジャンルを超えたこの老練なパーカショニストが、歌心の神髄を心得た偉大な太鼓たたきの一人だということは疑う余地もありません。いろいろと書き連ねてみたところで自然と腰は動いてしまう、グルービーな素晴らしい一枚です。







たこ八郎

2018.08.05 (Sun)
4c0a36f8_1376315474694.jpg




ある日、いつもの公園から帰ってくると家の中がすっごく臭かった。
昼間からカーテンを閉めて薄暗いリビングに母親がこっちを向いて鼻をつまみながらソファーのほうを指さして苦笑いしている。
並べられたソファーには見たこともない浮浪者がいびきをかいて眠っていた。

それがたこさんとの初対面だった。

たこ八郎。本名、斎藤清作。元日本フライ級チャンピオン、日本屈指の名コメディアン。父とは同じボクシングの仲間、一つ下の後輩、階級も彼のほうが軽い一つ下のフライ級。
現役の時はよくスパーリングの相手をさせられた。させられたというのもたこさんとやるのが本当に嫌だったそうだ。父のほうが彼より一つ重いバンタム級(当時はスーパーフライ級という階級はありませんでした。1980年新設)。当然試合をすれば圧勝なのだが、たこさん、これがどれだけ打ったって倒れない。打たれても打たれても手をぶらっと下げたままノーガードで頭から突っ込んでくる。しまいには相手が根負けしてみんなリングから逃げだしちゃう。『あしたのジョー』、矢吹丈のモデルになった伝説のボクサー。

たこさんは僕のことを『お坊ちゃん』と呼んでいた。お酒を飲むとすぐに酔っぱらった。というかお酒を飲んでないたこさんを見たことがない。酔うと子供の時の話ばかりした。僕のような子供を相手に楽しそうにお酒を飲んでいた。飲めば故郷が懐かしいとこぼした。終いにはいつも必ず泣き出した。おねしょしたカーキ色の作業ズボンを母親が洗ってた。

「お坊ちゃん、子供のころ、学校帰りに、毎日、麦畑に寝転んで、あの青い空を眺めながら、あれだよ、オナニーをするんだよ。きもちよかったなあー。あの真っ青な空。あの日に帰りたいなぁ。本当にあの青空はきれいだったなぁ。」

そういいながらいつものようにおいおい泣いていた。母親はたこさんがいるときはいつも黙って苦笑い。私は、とっても嬉しそうに話すたこさんが実はとっても寂しそうなんだなって。昼間、父が留守の家でたこさんの相手するのは私。酔っ払いのわけのわからない苦だ話になぜだかいつまでも付き合ってた。父ら友人の間では「迷惑かけて、ありがとう」というのが合言葉のようだった。  

ある日、明日CMの撮影がハワイであるので飛行機に乗らなきゃいけないという日に、家で、前日から飲み続けてべろんべろんに酔っぱらってて。仕事に行きたくないよーっ、て子供のように駄々をこねた。母親がタクシー呼んで無理やりに車に押し込めた。
「空港に行くにはね、こうこうこの電車に乗って、この時間には間に合うようにこうしてああして・・・運転手さん、お願いしますね。」
次の日たこさんから電話がかかってきた。飛行機に乗り遅れたって。山手線で眠りこけてぐるぐる回ってる間に飛行機、飛んでっちゃったって。
こんなこともあった。
カルビーだったかな?ポテトチップか何かのCM撮りでスポンサーの社長に製品の感想を聞かれたら、「おいしいけど、ちょっとしょっぱいね」って。
結局CM降ろされちゃった。

忙しくなって顔を見せなくなっても、よく電話だけはかけてきた。

「たこです。え、っと・・・・清作です。お坊ちゃまでいらっしゃいますか?お母上はいらっしゃいますか。」
「はい代わりました、はい、そうよ。仕事行ってる?ちゃんと食べてる?お酒ばっかり飲んでちゃだめよ。ご飯ちゃんと食べなさいね。」

ー 何の電話だったの?
ー 今何時かって、家に時計がないんだって。 
  
たこさん、他の人の話は駄々をこねて聞かなかったけど母親の言うことだけは素直に聴いていた。  




それから何年かしたある夏の日、たこさんが死んだ。お酒を飲んだまま海に入ってそのまま帰ってこなかった。
その日から直前、ここ半年、一年間はたこさんからかかってくる電話は長電話が多くなっていた。いつも母親は困ったような、深刻な顔で親身になって相談に乗ってあげていた。
電話口でいつも泣いていた。結婚するのがどうしてもいやだって。あるひとにずいぶんと言い寄られて、それこそ家にまで押しかけてくるようで困っているって。確かそのころはほとんど彼女と一緒に暮らしてたみたい。たこさんもその人がとっても面倒見のいい、良い人で好きだって言ってたらしいけど、でも自分には結婚する自信がないんだって。怖いんだって。いつまでも自由でいたいんだって。相手は名前は出さないけど、今でも芸能界で活躍してるあの人。母親はたこさんの話を聴きながらその彼女のことをずいぶん強引な人だと怒ってた。
           あき竹城   自殺
亡くなる一か月前は特に頻繁に電話がかかってきた。毎週、それこそ毎日。そして、あの日、たこさんは戻ってこなかった。私たち家族の間では、口には出さないけど、みんな、たこさんは自分で行っちゃったって思ってる。
たこさんの思い出。いやだなって思ったのは最初の日の、あの酒臭い、お風呂にも入っていない、強烈なあの匂いだけ。
ただただ思い出すのは人のいい笑顔と子供のようなあの泣き顔と。


夏の青空の下、いつものように酔っぱらったまんま、たこさんは自由の海に帰っていっちゃった。






 Somewhere over the Rainbow - IZ
  
 


イズラエル・カマカヴィヴォオレ
Israel Kaʻanoʻi Kamakawiwoʻole 愛称“IZ”ハワイアンの伝説的歌手。38歳の若さで死去。たこさんと一緒で神様に愛された人。
この曲、前にも紹介したけど、たこさんのための選曲となるとどうしてもこの曲しか思いつかない。僕も何かあると彼のアルバムを引っ張り出して聞いている。今も聞きながら涙が出てきて止まらない。

本当は日本ボクシング連盟の話を持ってこようかと思ってたけど、僕のたこさんと同列に書くにはあまりにあの会長は低俗すぎて。
たこ八郎の、斎藤清作さんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

たこさん、ブログになんか書いちゃって、ごめんね。








インドで民衆に向け警官が発砲

2018.07.15 (Sun)


インドの友人がフェイスブックにアップした動画
詳細確認中。







調査結果

結論から言うとこのビデオはフェイクです。実際はこのビデオがアップされたのは去年の11月、『Moke Dreal of Khunti Police』と題されてアップされた警察の訓練の様子です。




別角度からの映像






ただし、このビデオが関連づけられて報道されているマディヤ・プラデーシュ州、マンドサウル/ Mandsaur でのデモ隊への発砲事件は、警察による銃撃、暴行で6人の被害者を出しているようです。農作物の価格を見直してほしいと抗議に集まった非武装の農民に対して警察隊が無差別に発砲。一人は警察署内での暴行で亡くなったと考えられているようです。

今回、この映像に関しては誤報ということになりますが、本物の映像だと全く疑わずに動画をアップしてしまったムンバイ出身のインドの友人の行動にも十分理解できる節があるようです。というのも、今回この事件、映像の真偽を多数のインドの友人に問い合わせてみたところ、この手の『インドの警官』に関する犯罪はごくごく普通にインド各地で日常的に起きているからです。





今年の5月、マンドサウルの事件のほんの少し前、タミル・ナードゥで起きた抗議集会に警官が発砲したときの映像です。ショッキングな内容が含まれますのでご視聴は自己責任でお願いいたします。


トゥーットゥックディの大虐殺の動画
Thoothukudi massacre / トゥーットゥックディの大虐殺 Wikipedia


stalin_tweet.jpg





2018年5月22日、Thoothukudi Tamil Nadu タミル・ナードゥ州トゥーットゥックディ。長年悩まされていた工場による環境破壊に抗議するため集まった地元群衆に無差別に発砲、13人の犠牲者を出しました。

事件は集会の最終日に起きました。集会も終わりに差し掛かり三々五々家路に帰ろうとしている人々に突如警官隊からの無差別な発砲がありました。その際、警官からの威嚇射撃などは一切なく、警告すらないままに突然銃撃が始まったとのことです。政府の言い分としては一部の群衆が暴徒化し放火、投石を始めたことへの警告だったと公表しています。実際、映像の中でも車や建物が燃えている様子が映し出されていますが、たぶんこれは警察自身が自ら放火した自作自演のものでしょう。マンドサウルでも同様ですが、警察による暴力的煽動によって現場の状況を悪化させ、それを理由に実力行使に出るのはインドの政府では常套手段です。過去、タミルの闘牛、私も大活躍したジャリカットの復活大集会でも、密かに警察官が車に放火している映像が多数アップされています。残念なことに先のこの事件でも無抵抗な市民が大勢虐殺されました。近日『アイヤッパへの道』で改めて報告させていただくつもりですので今しばらくお待ちください。



shree parthaSarathy
Parthasarathy



私の名前は『スクナヒコナ・パルタサルティ』
期せずしてインドの警察権力に対する抗議記事になってしまいました。
私の誤報から、かえって皆様に日々成長し発展してゆくインド社会の陰で増長してゆく負の力をお目にかけることになりました。
これからもインドのホットな生きた情報をお伝えして行きたいと思っています。









御神渡り 再び 2018年2月10日

2018.02.10 (Sat)
P1014338.jpg

2018年2月10日

全面凍結した諏訪湖に先週現れた御神渡り。今朝も早起きして再度訪問してきました。



map.jpg


今年の御神渡り位置図、観光促進の一環として下諏訪観光協会さんのホームページからお借りしました。今回紹介する場所を赤く囲ってみました。
下諏訪観光協会HPはこちら

御神渡り出現で紹介したのは地図でいうと南側湖畔のちょうど真ん中、下諏訪の赤砂崎公園付近と地図の右上、コンビニと印がついているあたり、セブン‐イレブン 下諏訪湖岸通り店がある大きな駐車場付近からの眺めです。ちなみに、白鳥の餌やりは、赤砂崎公園の横河川河口より東側、御神渡りポイントから歩いて5分くらい離れた水の流れ込む氷の切れたところ。機関車のD-51『デゴイチ』が展示してあるのですぐわかります。


P1014272.jpg


今日は諏訪湖の南東側、一之御神渡りが大きく折れ曲がってる辺りに向かいたいと思います。



P1014238.jpg


湖畔道路を横切って湖畔に降りる前から、すでに諏訪湖全体が「ギシギシ」「バリバリ」と氷のきしむ音で満たされています。
遠目で見ても先週訪れた時よりはるかに大きく盛り上がって、美しいというよりすさまじいといったほうが的を得ているような風景です。


P1014249.jpg


ファミリーマート岡谷濱湖畔店前、ここ穴場です。
地図でいうと下の南のほう、小さく小坂と書いてある信号の近くにコンビニのマークが見えますね。御神渡り本道からは離れた湖畔沿いに走る大きな亀裂、本筋とはつながっていないので正式な御神渡りではありませんが観光客もまばらで今日のような早朝の訪問であればちょうど日の出の方向に御神渡りを眺めることができます。



P1014266.jpg


コンビニの駐車場に車を停めさせてもらいました。
当然、無断駐車はだめですよ。諏訪湖の風はとっても冷たいので駐車場をお借りするお礼に必ずコンビニで暖かい飲み物を買って出かけましょう。



P1014258.jpg



目の前の氷がミシミシと音を立ててこちらに迫ってくるようです。
寒いし凄いし美しいし。目の前でとんでもないことが起きているというのを五感を通して感じることができます。


P1014262.jpg


ミシミシ、バリバリという音に交じって湖の奥のほうで時折「ドスン」という音が聞こえます。
しばらく眺めていると目の前で氷の破片がバリバリと音を立てて砕け散ったりします。



P1014256.jpg



母親に小さいころから聞かされていましたが、暗い湖畔に、氷が盛り上がり唸りをあげて砕け散る風景は子供心にそれは恐ろしい印象でした。ただ、この類の幼少の心象風景って大きくなって実物を見てみると『なんだ、こんな程度か』って気抜けすることが皆さんとも一緒でそれがいつものことなのですが、今朝の御神渡りに関しては想像していたものと全く同じ、昔の人が『神が歩いた道』と呼んだのも素直にうなずける光景です。


P1014252.jpg




さて、コンビニからほんの少し北へ上って新たなビューポイントへ。



P1014313.jpg



左側に臨時駐車場があるのでそちらに車を停めて再び湖畔に向かいます。


P1014312.jpg



九時前ですが結構観光客でにぎわっています。



P1014310.jpg


実際に見ることができない人のために今日は写真多めで行きましょうね。




P1014308.jpg


所々、氷が大きく丸く、薄くなって見える場所があります。
きっとそこには温泉が湧いているんでしょう。



P1014331.jpg



観光地に来ても美しい風景を見ても心ここにあらずというのが普段の私ですが、今日に限っては時間のたつのも、寒いのも、すっかり忘れてしまう。近くの氷がビシッとはじけて初めて我に返るような、本当に美しい、楽しい時間を過ごすことができました。



P1014325.jpg



来ている人たちもみんな笑顔で、それもこれも諏訪の神様に守られているおかげです。



P1014335.jpg



今日明日は比較的暖かいようなのでまた明後日以降の寒さで大きく盛り上がることでしょう。
寒暖差で湖の氷が膨張するんだって。



P1014360.jpg


カイツブリかな?でも真っ黒なんだよな。
こうして近寄っても逃げないのは諏訪様のご加護のおかげ。

誰か、鳥に詳しい人、この子の名前を教えてください。



P1014352.jpg




さて、今日はこれから何するかな。
まだ朝の十時前だし。



P1014336.jpg



とりあえず温泉にでも浸かってゆっくり考えよ。




The Durutti Column - Sketch For Winter









度々、当ブログで名前の挙がるヴィニ・ライリー /Vini Reilly 率いるドゥルッティ・コラムからの一曲。いかにもかよわそうな彼、パンクバンドのギタリストとしてキャリアをスタートさせたんだけどそのバンドがさんざんで、なおかつ彼自身は曲を聴いてもらった通りジャズフレーバーあふれるなかなかのテクニシャン。思い通りにいかない音楽活動に嫌気がさしてついには精神までやんでしまった。引きこもってばかりいる彼を心配して友人達がある日スタジオに無理やり引っ張りだした。ギターを抱えてただただうなだれて座り込んでいる彼を励ますためにいろいろ試したんだけど何をやっても無理。そんな中、気晴らしにシンセサイザーで小鳥のさえずりを流してみたらそれを聞いたヴィニ・ライリーはやおら立ち上がってギターを鳴らし始めた。その時出来上がったのがあの名曲。『スケッチ・フォー・サマー』、そして、その場で結成されたのがこのドゥルッティ・コラム。永い間、食べることができなくなった時間が一年以上あって電車にも乗れなくなった時期がありました。ふとしたきっかけで今ではすっかり元気になったけど、だからかそうだか知らないけど、ことあるごとに彼のギターはよく聴いています。今回は、『スケッチ・フォー・ウインター』、『 Sketch For Summer』はこちらSketch For Summerにありますので興味のある方はぜひ聞いてみてください。





The Durutti Column - Messidor












お伊勢講

2018.01.15 (Mon)
P1014056.jpg


先輩方とともに村の代表としてお伊勢様に参拝に参りました。



P1014043.jpg



参道には古風な屋敷を改装した立派な店屋が軒を並べていて思いのほか活気のある華やいだ様相です。
もっと、落ち着きのある神聖な場所を想像していたのでびっくりしました。




P1014091.jpg


神様の宿る場所は神聖であると同時に民衆の楽しめる幸せで平和な場所じゃないといけませんね。
と、じぶんに言い聞かせながら早くも参拝後のビールとおつまみをひそかに物色しています。




P1014086.jpg


今朝はよく晴れてとても暖か。信州の山奥から来た私たちにとってこの暖かさはまるで楽園のようです。
天照様をお参りするには絶好の春めく日差し。さんがにち仕事で終わった私には本日が初詣です。



P1014058.jpg


境内には冬というのに青々と葉を茂らせた巨木が林立しています。
「これはなんて~木だい?」
大先輩の質問にすかさず「クスノキです」と答える私。
寒い信州の山間にはめったに生えない楠、生まれながらの山の男でも見たことの無い樹木の名は知る由もなく。


P1014062.jpg


伊勢神宮・内宮 『御正宮』
写真を撮影できるのは石段下のここまで。
周りをぐるりと取り囲む巨木と同じ時代。太古の姿を現代にとどめている質素な姿は神々しく見る者を魅了します。



P1014061.jpg



母方の屋号は『伊勢屋』
伊勢から信州に落ち延びた源氏一族の末裔です。
信州で細々と大根を作っております。どうかお守りください。



P1014063.jpg



帰ってからおいちゃんに聞いたら、御柱の年のお伊勢参りは諏訪大社の氏子ということで特別に『御正宮』の中まで参拝させてもらったそうです。
すっごいうらやましい。



P1014083.jpg



そんなわが村のお伊勢参りも今年で最後。
村民の高齢化もあり、代々続いた村の伊勢講も今日で解散です。





『フィリピン・南国の光』 オリジン

2018.01.09 (Tue)
P1013376.jpg



憎っくき鶏の雄たけびに今朝も南国の安らかな夢を破られて、まだ夜も明けきらぬうちから目が覚めてしまった。
日の出は南国といえども季節は冬ですから朝の4時といえば日本と同じで町は真っ暗。それでもフィリピンの人たちはとても早起きで通りからは人の声や道を急ぐ足音がまばらと聞こえてくる。毛布をかぶり何度も寝ようと試みてはいるがこうひっきりなしに鳴かれてはうとうとすることも難しい。前夜のビールが抜けただけでもよしとして寝てる家人を後にこっそりと家を抜け出して朝の街を散歩することにした。



P1013361.jpg



乗り合いバスのジープニー / jeepneyが出勤のお客を満載して街道を走ってゆく。朝5時だというのにもうすでに半分のお店がシャッターを開いて営業をしている。露店や行商が狭い歩道を行きかっている。





P1013369.jpg


自転車のリアカーにアルミの寸胴を積んだ物売りが脇に止まって何かを売っている。
なんだと聞くと「トウフ」だと答えた。






P1013373.jpg


タホ / Taho
おぼろ豆腐にタピオカや水蜜をかけて食べるデザート。大きいカップで20ペソ。小さいのが10ペソ。
せっかくなので大きいのを頼んだ。スプーンなどついているわけでもなく傾けてずるずると吸い込む。
おいしい。



P1013243.jpg


街の中心にあるカソリックの教会、Immaculate Conception Parish Church。1866年に建てられた古い教会。フィリピンの歴史的建造物の一つ。フィリピン革命などいくつもの戦火の中で悲劇の舞台にもなった場所。日本統治下でも多くの住民が処刑されているそうです。


P1013377.jpg

写真をとってもいいということで何枚か撮らせていただいた。
天井は修理のために足場がかけられている。




P1013384.jpg


そういえば今日は日曜日。大勢の信者がミサのために集まっていた。
きっと日本人は私だけ、見るからに場違いな疎外感をひしひしと感じて非常に居心地が悪い。きらびやかな装飾、光り輝く彫像、厳かに響き渡る讃美歌。人々を恐れおののかせるにはもってこいの良くできた舞台装置。

宗教のことを語る前に少し私の立ち位置を確認されておきたい。宗教を語るときは場が混乱するのは常であるから出来るだけ誤解を招かぬように。
まず、私は一神教については批判的である。一神教は人類が越えなければならない最後の障壁だと思っている。ただ、私にはキリスト教徒、イスラム教徒の友人がたくさんいる。当然私の考えも彼らは知っている。そのうえ宗教施設は大好きである。特に教会の美しさにはしばしば目を奪われる。あの厳粛な雰囲気の中に何時間でも浸っていることができる。白状するが以前のかみさんは白人女性、クリスマスもイースターも一緒にお祝いした。別れた理由は信仰の違いではありません。

さて、フィリピンという名の由来をご存知でしょうか。フィリップ王の統治する国、この国はアジアにあってスペインの王、フェリペ二世(当時は皇太子)の名前を冠した国なのです。日本に西洋文化が流れ着いた同じ時期、白人の強大な軍事力の前にひれ伏し征服された国々の一つです。300年に及ぶスペイン統治時代の後、侵略者を撃退し独立した後もフィリピンという国名を変えることはしなかった。フィリピンにキリスト教が広まったのはスペイン統治時代、ではそれ以前はと周りのフィリピン人に聞いてみてもだれ一人として答えられる人はいません。私の宿泊している家族の奥様は歯医者さん。大学で学位を持っているインテリのはずなのですがスペイン統治以前のこの国の歴史や宗教について訪ねてみても全く知らないという。子供たちに聞いてみて、きっと学校で習っているから。全く知らないうえに興味すらないようです。これは日本での話ですがフィリピンパブに行ったときにふと不思議になって同じ質問をしたことがあります。その時の答えに私は衝撃を受けました。
「スペイン人が来る前の歴史なんか恥ずかしくって何の役にも立たないわ!」
間髪入れず吐き捨てるように言い放つホステス。その顔は怒りに満ちています。キリスト教がやってくる前はフィリピンは暗黒の地、未開のとるに足らない島々だったというのです。
そこで調べて見ました。キリスト教が伝来するまでのフィリピンにはイスラム国家が存在していたようです。しかしあまりに資料が少ない。今のマレーシアあたりを想像すればいいのでしょうか?ヒンドゥや土着の神が融合した緩やかなイスラム国家を想像してみます。

目の前では、牧師さんが長々とビデオの前で説教をしています。言葉はわかりませんが非常に具体的で寓話的な話をされているのでしょう。私は子供の時にキリストが磔にされた三日目に生き返った話を母親から聞きました。その時最初に思ったのは何でこんなオカルトな話を大の大人が信じるのだろうか、と。なんと罰当たりなことでしょう。こんなことをミサの最中に考えているのは私だけ、彼ら信者から見れば異教徒の私は『悪魔の申し子』排除すべき存在なのでしょう。哀れな子羊の群れに紛れ込んだテロルスト。社会を乱す邪悪な存在です。創造主はそれ以外の存在を認めようとはしません。我こそは全知全能であり異教徒の神はすべて悪だと。すなわち偉大な神の力が強ければ強いほど悪魔の力も大きくなる。逆を言えば悪魔の邪悪な力を借りてキリスト教の神は大きく強大になってゆく。今回のこの一連のブログ、南国の光と題した理由は光が強ければ強いほどはっきりと浮かび上がる『影』の部分を暗喩してのこと。しかし、きっとキリスト教社会のこのようなコミュニティにわが身を置いたならば、私のような不遜な不謹慎なものでも、集団から外れる恐ろしさから神に頼らざるを得なくなることは目に見えて明白。そう、これは厳粛な舞台装置、『原罪』を人々の心に植え付ける強大なシステムなのです。

車でフィリピンの家族と旅行に出たとき、信号に止まると必ず花売りや物乞いや笛吹きがやってきて金銭をせびります。中には目の見えない息子の手を引きながら混雑した車の間を物乞いさまよう年老いた母親もいます。フィリピンの友人は彼らは○○だから早く窓を閉めなさい!といいます。一人に金を渡すと後から後からやってきて収集がつかなくなります。それはインドも同じ、よく経験することです。しかし、このとき彼らはわざわざ原住民の名前を呼んで私をいさめました。他意はないかもしれません。ただふとした拍子に本心が現れることもあります。なんと呼んでいたかは忘れてしまいましたが山に住む少数民族を呼ぶ蔑称のようです。
フィリピン人の顔を見ると同じ家族でも様々な人がいます。私たちのようなアジア的な顔、肌の色の黒いもの、白いもの、白人のような表情の人。フィリピンの人達と、錦糸町で遊んだフィリピンパブのお姉ちゃんも含めて、彼らと接して感じたのは、征服者であるスペイン人を家系に持つこと、白人的な容姿を持つこと、それがいかに血統的に優れた特権的なものであるのか、白人の血を引くことを人々は誇りに思っているようです。逆を言えばフィリピンの原住民に対する差別意識が根底に流れていると気づかされます。フィリピンの貧困の原因は単純に経済的構造に端を発していることではないのかもしれません。国を蹂躙したスペインへのあこがれと信仰。いま、窓の外でしきりに車のガラスをたたいて私に訴えかけている哀れな老婆、きっとあの人こそがこの国のオリジン / origin であるはずなのに。








P1013395.jpg



教会を出て、いつものように肉屋の角を曲がって、もう起きだしているであろう友人のうちに帰ります。
少し行ったところで、またあの豆腐売りにあいました。






P1013400.jpg



「いくらだっけ?」
「20ペソって言ったろう」


ぼったくられたのではといぶかしがって聞きに来たのだと感じたようです。


「もう一つくれないか?」


私はまだ温かいプラスティックのコップをもってコンビニのわきで座り込んでいる物乞いの老婆に近寄りました。


「・・・・メリークリスマス。」


老婆は真っ白のタホを片手にいつまでも私のほうに手を合わせていました。










P1013401.jpg







Boney M - Rivers of Babylon




バビロンの流れのほとりにすわり、
柳にたて琴をかけ、
シオンを思い、すすり泣いた。

わたしたちをとりこにした者が、歌を求め、
しいたげる者が慰みに「シオンの歌をうたえ」と命じた。
異国の地にあって、どうして主の歌がうたえよう。



ボニー・M、バビロンの河。1978年に大ヒットした懐かしのディスコ・ミュージック。今回、数回にわたってディスコ・ソングが続いたのは実はこの曲をこの回にぶつけたかったため。期せずして前回のジンギスカンと同じ西ドイツで結成されたユニット。軽快で明るいメロディーとは裏腹に詩の内容は聖書の一片、バビロンの捕囚。ユダヤ人が国を滅ぼされてバビロンに強制移住させられ悲嘆にくれるという内容のもの。
このバンドのために集められたメンバーはカリブ海やインド洋、アフリカなど、キリスト教徒に征服され自らの宗教を奪われた国の人たち。これって何かの皮肉なのでしょうか。










Yegna  明日への切符

2018.01.03 (Wed)
yegna-creds-deck-e1484154940641.jpg


あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


2018年一発目はインド紀行でもなくフィリピン旅行でもなく、当ブログ始めての音楽を主題とした記事で今年のオープニングを飾りたいと思います。しかしながらただの音楽レビューではございませんのでお時間のある方はしばしお立ち寄りのほどを。








Minu Tenekana / Aster Aweke








Aster Aweke / アスター・アウェケ
エチオピア出身の女性歌手。httpsでSSLのお話 FC2ブログ②で以前紹介しました。私自身もここで取り上げるまで彼女の歌手としてのキャリア、ミュージシャンとしての経歴等は全く知りませんでした。彼女のCDを購入したのはもう20年以上前、確か渋谷のタワーレコードだったと思います。視聴して購入したのか全くのジャケ買いだったのか、記憶は定かではありませんが、彼女について全く情報がない中での博打買いだったことは間違いありません。購入当時からよく聞いていた一枚になりますが、そもそも音楽批評家的な知識などまったく興味のない者ですからそれこそ彼女の名前さえどのように発音すればいいかすら知らないままに今日まで聞き続けていたわけです。
前回の記事で初めて彼女の音楽家としての全貌を知ることになるのですが、彼女のキャリアを彩る名曲の数々を聞いていく中でこれは改めて取り上げる価値があるようだと感じた一曲がございました。








Ethiopian Music-Yegna Ft Aster Aweke:- TAITU









紹介した当初はベテラン人気歌手と新人アイドルグループの単なるコラボレーション企画かと思っていましたが、その伸びやかなメロディーと彼女たちの美しい笑顔を何度も繰り返し見る中で私はいうに言われぬ感動を覚えたものです。曲の最後に教師から渡された未来への切符、判然としませんがこの教師は前出のベテラン歌手 Aster Aweke が演じているものだと思われます。あの手鏡に映った少女の希望に満ちたひとみ。ただのミュージックビデオなのに自然と涙がこぼれます。行ったことはありませんがエチオピアという国はきっととても貧しい国なのでしょう。それでも、彼女たちのまなざしには動かぬ希望が宿っているようです。この豊かな日本にあって現在、あの光輝く瞳にかなうまなざしを私たちは見つけることはできますでしょうか。早速、このエチオピアのアイドルグループ、『Yegna』のことを調べてみました。


50084-sxleocoxye-1485339358.jpg



『Yegna / ヤンニャ』

エチオピアのガールズユニット。
Teref Kassahun(Melat、26歳)
Lemlem Haile Michael(Mimi、26歳)
Zebiba Girma(Emuye、22歳)
Eyerusalem Kelemework(Sara、27歳)
Rahel Getu(Lemlem、22歳)
の5人組。2013年にデビュー。ナイジェリアとルワンダで運営されているガール・ハブ計画・Girl Hub scheme の一環として結成されたグループです。エチオピアでは女性の地位はいまだ非常に低く常態的貧困や教育の制限による無教養、性的暴行や強制的な結婚など未成年の少女の置かれている現状は非常に厳しいものがあるようです。ガールズ・ハブ運動とはそういった立場に置かれている孤立した少女たちを新たにネットワークでつなぎ連帯することでそれぞれが自主的に運動に参加していく。ガールズ・ハブ運動に彼女自身が参加することで彼女自身の社会に対する意識改革を促し、延いては社会全体の変革につなげてゆく。女性の地位向上を自分たちの手で実現していこうとする社会運動です。大手スポーツ用品のナイキ財団も資金提供に参画しているようです。











ガールハブ運動、ヤンニャの活動を簡単にまとめたビデオです。
ラジオ放送を通じて一般女性の運動への参加、意識共有を図っているようです。





Yegna はいわばアフリカの若い女性に勇気を与える応援団
言葉はわからなくともビデオから感じた感動はやはり本当だったのですね。改めて音楽の魔術を感じることができて本当にうれしく思います。彼女たちが見せるビデオの中の笑顔が希望に満ちた本物の笑顔だったことに改めて感動を覚えます。
実際、彼女たちの成功は当初冷淡だった国内の男性たちの意識も変えていっているようです。彼女たちの起こした小さなきっかけが大きなうねりとしてアフリカの保守的だった社会を動かしているのです。彼女達かよわい少女たちが、今、世界の片隅で成し遂げようとしていることが大きなうねりとなり国をも動かし国境を越えて世界に大きな広がりを見せていくようです。






Yegna Band - Abet










アフリカの貧しい少女たちが、今小さな光をその手につかもうとしている中、方や日本のアイドルグループはいかがなものでしょう。自由の国、日本にあって、大人の金儲けの道具として、なんと恋愛禁止、右向け右の集団行動、大金を生み出す『総選挙』なる集金システムのただ中でまるで商品のように切り売りされている。彼女らの瞳には私たちを幸せにするような美しい光は宿っているのでしょうか。一音楽ファンとして心底には秋元康への憎しみが渦巻いてはおりますが、アフリカの穢れのない彼女たちの物語を醜いデブの姿で汚したくないのでこのことはまた別項で。




Yegna - Endeswa









今日は、アフリカで起きた小さな奇跡のご紹介。
手鏡に写った少女の笑顔はすべての未来が私たちの手の中にあることを教えてくれます。
きれいごとだけで物事はけっして動くことはないですが、やはり美しいものだけ見つめていたい。彼女たちはそんなおとぎ話の可能性を私たちに見せてくれています。







後記
Ethiopian Music-Yegna Ft Aster Aweke:- TAITU
この曲で歌われている『Taitu』とは19世紀のエチオピアの女王『タイトゥ・ベトゥル / Taytu Betul』のこと。ビデオの中でアスター・アウェケ演じるのがその女王様。主人公の少女が通う学校の教室にもその肖像画が飾られているのを見ることができます。国内での奴隷販売を禁止し、アドワの戦いでは夫、メネリク二世とともに自ら軍団の先頭に立ちイタリア軍を撃退、帝国の独立を守り抜いたエチオピアの伝説的ヒロイン。
『歌合戦 2018』





アイヤッパへの道 vol.16

2017.12.14 (Thu)
アガスティアの葉

ma-20194-WEB.jpg
Agastya
多少長い文章になりますがインドという国を知る手掛かりになれば。





二台のマイクロバスはチェンナイを離れ、いよいよ巡礼の旅に向かいます。
友人一族にとっては一年でもっとも重要な一大事。巡礼の初めとして、まずはアガスティア・ナディ・アストロロジー『アガスティアの葉』の先生の事務所に挨拶に向かいます。

アガスティアの葉 / Nadi astrology
今から3000年前、聖者アガスティアの予言を起源とする占い。何千、何万というアガスティアの葉と呼ばれる古代文字の書かれた一枚の葉に一人の人間の一生が書かれている、その人の前世から前世で行った善行、罪悪、前世から影響を受けるであろう彼の現世での運命、彼らが誕生した時から死に至るまで、彼ら、彼女らの死に至る原因と死ぬであろうその日時まで、一人の人間の一生が一つの物語としてその葉っぱに描かれている。彼らの人生が語られる言葉は古代タミル語で記され、アガスティアの葉がこの世に生まれてから3000年の間、何百回となく連綿と新しい葉に書き写され代々受け継がれてきた。被験者の親指の指紋をもとに該当するアガスティアの葉を探し出し、ナディ・リーダーと呼ばれるアガスティアの葉の詠み人が、彼、彼女の運命を事細かに読み聞かせる。現在、この正統なナディー・リーダーは世界に10人余りしか存在しない。


P1018809.jpg


事務所と呼んでいいのだろうか。意外とこじんまりしている。一階の待合室には順番を待つ顧客がずらりと、薄緑色のソファーに神妙な面持ちで座っている。中にはこれから結婚を考えている恋人同士だろうか。不安げに手を取り合って自分たちの運命をその列の中にゆだねている。現代のインドでも占いの結果次第で結婚相手を決めることが普通にある。両親たちが占星術で娘、息子の結婚相手の相性を計るのだ。恋愛結婚はまだまだ少なく、それなりに財力、地位のあるものでない限り、大概は古い習慣に縛られてしまう。それがいいか悪いかはわからない。インドの家族を見たときに、こんなに仲のいい家族は世界探してもないのじゃないかと思う。自由恋愛の日本で離婚率が高いのとは正反対だ。
しかしながら、自分の望んだ幸せを遂げることができない若者も現実には存在する。恋愛に関して思い通りになることはむしろまれなほうだ。インドの個人のお宅に呼ばれたとき、壁に若い女性の写真がぽつんと飾ってあることがよくあった。聞けば自ら命を絶った娘だという。理由は聞かない。聞かなくとも想像はつく。




P1018821.jpg
Agasthiyan Durai Suburathinam Nadi Jothida Nilayam



アガスティアの葉は古代タミル語で書かれている。インド人であろうと誰もが読めるものではない。ナディ・リーダー / Nadi Astrologer は幼い頃から師匠の家に泊まり込み身の回りの世話をしながらアガスティアの予言を学んでゆく。彼ら少年は生まれた時からナディ・リーダーになることを運命ずけられている。選ばれたもののみがアガスティアの予言を紐解くことができるわけだ。
インターネットを旅していると日本人でもアガスティアが読めると公言している人間がいる。断言しておく。彼は偽物だ。旅に出るとよくいる、不思議の国、インドに寄生する『おかしな奴ら』である。嘘だと思うなら試しにナディー・リーダーをお願いしてみるといい。きっと根掘り葉掘りいろいろなことを聞かれることだろう。心理学を学んだものならば簡単にそのトリックが見透かされる。
本物のナディー・リーダーは初見であなたの現状にはほとんど触れることはない。親指の指紋と、せいぜい年齢性別を聞くとても事務的な質問のみだ。採取された指紋をもとに数えきれない葉っぱの中から該当する一枚を探し出し解読する。無ければなかったことをそのまま報告する。インドの近代化が進み、それに伴って金儲け目的のあさましい輩、インド伝統文化を食い物にする人間が増えてきた。インドの伝統文化は好奇の目で見られている。それはインド国内でも同じ。いかがわしい偽宗教家が幅を利かせ世間をにぎわしている。そもそもアガスティアの葉を自ら保管していないのになぜそれを読めるのか?もしやレンタル?業務委託?インドの近代化、自由主義、資本主義とはこういったものなのかと相変わらずくさくさする。


P1019405.jpg


アガスティアの予言には Nadi astrology / アガスティアの葉の終焉に言及する予言があるらしい。
今から3000年後、数えればそれはちょうど今のこの現代、アガスティアの葉を悪用して人をだます人間が世界中に現れるだろうから、その時が来た日には自らこの予言に幕を引き我々のアガスティアの予言をこの世界から葬り去ってほしい。聖者アガスティアは自ら作りだしたナディ・アストロロジーの終わりを作り出したその時に予言していたのである。事実、アガスティアの葉を伝承する正当な導師は今や存在しない。アガスティアの予言を後世に伝える正当な老師は何十年も前に後継を定めることなくこの世を去っていた。友人たちを含め今残っている Nadi Astrologer たちが最後のリーダー。彼らがこの世を去ったとき、それはアガスティアの葉が終わりを迎える瞬間なのだ。


P1019414.jpg


彼と付き合うきっかけは運命的でも宗教的でもなかった。彼の素性も全く知らず、いつの間にか楽しい時も苦しい時も分かち合う仲になった。私は、彼が占いをやろうが崇高な宗教者であろうが全く関係はない。私にとっては仲のいい友達、話の分かる友人に他ならない。彼の仕事が占いだということを知ったのは付き合いだしてからかなり時間がたってからだ。彼自身も、日本で占い師だといえばいかがわしい存在と思われてしまうことを身をもって知っていた。だから、長い間私には隠していたのだという。さて、彼は占い師、だからと言って彼に対する見方が変わったわけではない。私は自分の目で見たものしか信じない。噂話など聞く耳は持たない。彼が崇高な宗教者だろうがいかがわしい占い師だろうが私の知ったことではない。

彼はアガスティアの葉を『科学』だという。インド文明が何千年にわたって集積してきたデーターの集大成だという。
なるほど、そんなものか。占星術にしろ血液型占いにしろ何かしら根拠があるはず。ああなるほど、そんなものか。ただ、彼のオカルト、不思議に対する考え方、スタンスが聞けただけでも安心した。彼のバックボーンは友情に無関係といいながら、実のところまったく気にしなかったわけではない。多少は気にはなっていたということ。ちなみに彼は幽霊をとても怖がる。

私は『幽霊』を信じている。唐突に何?てところだが、私のオカルトに対するスタンスも同時に披露しておきたい。ついでだがスピリチャルという言葉が大嫌いだ。なんだか軽すぎて裏っ側が透けて見えてしまう。
さて、その『信じる』というのはこうだ。
『幽霊』は在る。『幽霊』は存在するのではなく『幽霊』は在るように『在る』のだ。必死に幽霊の存在を証明しようとするオカルト信奉者のが言うように『幽霊』が実際に存在すると言い切ってしまったならば、もし科学的にその存在がエネルギーなり実態なり、存在として立証されてしまったなら、その瞬間、きっと『幽霊』は我々の目の前から消えてなくなってしまう。幽霊実在の証明によって幽霊は幽霊たる根拠を失うのだ。幽霊の存在を科学的に証明することが現実に起きたならば、それは『幽霊』を抹殺すること。そう、死んだものをもう一度我々は殺すことになる。
『幽霊』は『在る』。見た人間がいる以上幽霊はこの世にある。日本に山や川や美しい自然があるのと同様に。たとえ幻だろうと何かの見間違いだろうと。幽霊は日本の長い歴史と文化を身にまとい、人間の不完全さを嘲笑し、未だ見ぬ死への憧憬と畏怖を体現する。科学が進んだこの世の中にも、幻とも現とも計り知れない世界に幽霊はあるように『在る』
反対に幽霊や不可思議な現象をことさらに否定しようとする人間もいる。私は幽霊を見た時の感動を否定するほど無味無臭な人間でもない。ちょいとまえ、同じようなことを言っていた人をテレビだったろうか、見た記憶がある。『在る』という言葉を使って幽霊の存在を語っていた。以前にも同じようなことをこのブログで書いた気がする。はてさて、彼はどこで私の卒業論文を読んだのだろう。それとも人の考えることというのはたいして差がないということか。卒論は『内田百閒』についてだった。


P1010793.jpg



友人の言っている『科学』というものを何となくわかったふりをして深く考えることもなく「そういうものか」と理解したふり ー見て見ぬふりー をしたまま友人として付き合ってきた。たとえ、彼の占いが世間によくあるまやかしのたぐいだとしても彼に対する友情は何ら変わらない。そう思いながら友人関係を長く続けてきた。そんなある日、彼の驚くべき能力をまざまざと見せつけられる事件が起きた。




ある日、食事を終えリラックスした友人は突然こんなことを私に向かって言い出した。

― この紙に何か言葉を書いてみてくれないか?
― そしたらその紙を小さく折りたたんで右手で握ってくれ。
― 今から君が何を書いたか当てて見せるから。

僕の左手を友人は握りながら

― 生まれた年は?
― 生まれた月は?日にちは?
― 母親の名は?お父さんは?
― 好きな色は?

私の手を握っている反対側の手
彼は左手の指の関節を使って何やら数を数えている。

― あなた、『LOVE』て書いたでしょ。

当たってた・・・・

目の前で書いたから指の運びで分かったのか
ありきたりの言葉だから当てずっぽうで当てたのか
友人に、周りの人間にも見えないように隠れて書いた。
最後はトイレにこもって日本語で、それも漢字で、書いた紙をゴマ粒のように小さくたたんで右手でぎゅっと握りしめた。
彼は3回も、それもいとも簡単に私の書いた単語を当ててしまった。
涙が出た、恐ろしさで紙を持った右手が震えるのを隠せなかった。




それでも彼との関係は変わらない。
たぶん彼と一番喧嘩する相手がこの私だ。








P1011132.jpg









アガスティアの葉 瞑想室にて
Agasthiyan Durai Suburathinam Nadi Jothida Nilayam 





後記
野村沙知代さんもアガスティアの葉の信奉者だったようですね。彼の顧客だったかどうかは確認してみないとわかりませんが、占った方を聞けば政界、財界、芸能界、それはそれはそうそうたる方々です。
彼女が幸せに人生を全うできたのも彼らの力は小さくなかったと思います。



back-to-top