タール火山
2020.01.14 (Tue)

令和二年、年始め最初の記事がフィリピンの大災害。フィリピン最大の観光地、タガイタイのタール火山が12日の午後、噴火しました。
タガイタイには何度も訪れていてパズルマンション / The Puzzle Mansionやソニアス ガーデン / Sonya's Gardenの紹介をしたばかり。毎年滞在していたダスマリニャスやマラゴンドンはタール火山の目と鼻の先。今回の大噴火でマニラでも降灰があったようです。

一年前のタール火山。
カルデラ湖にポツンと浮かぶ世界一小さな火山といわれていました。外輪山から望むその眺めはとても穏やかで美しく、しかし過去には一度に6000人もの死者を出す大災害をもたらした世界でも有数な活火山です。

周りを取り囲む湖はかつての大噴火の火口跡、火山の頂上にも小さな湖をたたえる二重カルデラを形成しています。噴火当初は山頂のカルデラ湖での水蒸気爆発かと報道されていましたが、現在では大規模な溶岩の噴出も見られ予断を許さない状況が続いています。
現地の友人たちは大規模な降灰に打つ手なし。どこから手を付けていいかわからない状況とのこと、とりあえず家がつぶれないように屋根の灰を掻き落とすので精いっぱいだそうです。

フィリピンの活火山は日本に連なる環太平洋火山帯の一部、地球規模で見ればタール火山は我が国日本とはお隣同士。対岸の火事と高を括っている場合ではないです。とにもかくにもこれ以上被害が拡大しないことを祈ります。
『『フィリピン・南国の光』 タガイタイ』
『『続・フィリピン・南国の光』 マラゴンドン』

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『続・フィリピン・南国の光』 救急搬送
2019.12.21 (Sat)

フィリピンで救急車に乗ることになった。

これがその救急車。
Mitsubishi L300。日本ではデリカと呼ばれていた三菱製の商用車を改造したもの。二代目三菱デリカは国内の生産が中止になってもう久しく、すでに日本ではほとんど走っているところを見かけなくなったが、ここフィリピンでは現在でも生産販売が続いており街中でもよく目にするヒットモデルの一つ。ちなみにフィリピンで車といえばほとんどが日本製。

いよいよ救急車に乗り込む。
といっても別に病気になったわけではありません。単に病院に用事があっただけ。

運転するのは日本から一緒にやってきた友人の奥さんの弟。彼の仕事は救急車のドライバー、本日は非番。
家を出た救急車は旧市街の狭い路地を抜け教会前の大通りに出るとそこは予想通り、普段通りの大渋滞、フィリピンの市街地は何処へ行っても終日こんな感じ、日本のような地下鉄などの公共機関がない分、日々の移動はほとんどが自動車。
それでは、スイッチ、ON。
おもむろにジュニアが救急車のサイレンを鳴らす。サイレンと共に頭上の赤色灯が回転する。私たちの乗った救急車はスタックしている自動車の列を蹴散らしながら渋滞の中をどんどんと進んでゆく。けたたましく鳴り響くサイレン、びっくりするのと痛快なのと、疾走する救急車の中で三人は思わず吹き出してしまった。
対向車の運転手は大口あけてゲラゲラ笑っている私たちを見て、こんな大変な時に奴らはなに笑っているんだといぶかしがっている。もし、こんなとこを警察にでも見咎められたらそりゃ大変なことになるだろう。万が一止められたりしたときのために誰が病人役になるのかを三人で打ち合わせする。救急車の中でそんなバカな話を真剣に話すものだから、また余計に可笑しくなる。こみあげてくる笑いを無理に押し殺そうとすればするほど、私たち三人は爆走する救急車の中で身をよじらせた。
もうしばらく行くとマニラまで続く幹線道路に出る。ハイウエーはまたさらに混雑していることだろう。相変わらず救急車の中で大騒ぎしている私たちがその交差点に差し掛かった時、合流しようとする大きな交差点の真ん中に一人のお巡りさんがダンスのような華麗な身振りで交通整理をしているのが目に入った。噂をすればなんとやら。いけない、いよいよ笑っている場合ではなくなった。助手席に座った奥さんの、ひときわ大きな悲鳴の後、一瞬車内が静まり返る。一瞬の静寂。しかしそれもほんの一瞬、みんながみんな同時に同じことを考えたであろう次の瞬間、そのことがまたさらに拍車をかけて、みんな揃って一斉に吹き出してしまった。
そんな私たちの様子を知ってか知らずか、交差点にサイレンを鳴らしながら現れた緊急車両を一瞥した交通整理の警官はすかさず白い手袋をはめたその両手をぴんと左右に伸ばして、交差点に進入しようとしてくる他の車両をぴったっと停止させる。警官の笛とともに今まで車でごった返していた交差点に大きな広い空間が現れた。それは映画の、まるでモーセの十戒のように。
我々を乗せた救急車はその奇跡に輝くみちしるべをサイレンを鳴らしながら平然と走り抜けてゆく。見送る警官は私たちに向かって敬礼をしている。笑いを押し殺している私たちにさらなる笑いがこみあげてくる。警察官のわきをすり抜けながら、私たちは笑いをこらえるのに必死だった。

De La Salle University Medical Center
ラサール大学病院。通常の半分の時間で到着。
本日はとってもいい天気。特に病院に用事のない私はみんなと別れて病院を後にした。

花屋さん。
日本でも見慣れた観葉植物や南国の花でいっぱい。

骨董屋。
並んでいるのはほとんど日本のものばかり。日本ではガラクタ同然のものが結構いい値段で売られている。

歩道を占拠して我が物顔で作業する巨大な建設重機。
もちろん警備員なんていません。

いろいろ寄り道して一時間ほど歩いたらなんだか不思議な場所にたどり着きました。

Kadiwa Park
カディワ・パーク
恐竜やらキリンやらサンタクロースやら、埃の舞い上がる殺風景な一本道にポツンと広がる奇妙なオアシス。

大通りの両側の歩道を利用して公園ができています。切通しの斜面には滝の水まで流れています。
ポケットにしまってあった飴玉を口に放り込み、登った小道でしばし休憩。
別に目的地があるわけでもなし、ベンチに座りながら小川のせせらぎにはやる気持ちを抑えます。

まだお昼過ぎ、まだまだ日暮れまでにはたっぷり時間があります。

Strafe für Rebellion - Mosche Bildt Njet
シュトラーフェ・フュア・リベリオン
1979年、ドイツ、デュッセルドルフで活動を始めたBernd Kastner / ベルント・カストナーとSiegfried Michail Syniuga / ジークフリート・ミカイル・シニウガの二人組。電子音楽を基調に古典音楽や民謡、自然音やノイズ、動物の鳴き声や古楽器などを織り交ぜて展開する前衛的、実験的ユニット。バンド名を直訳すると『反乱に対する罰』という意、ドイツのバンドって過去のナチスの反省からか権力に対するメッセージが込められた名前がとても多い。今夜紹介したのは彼らのファーストアルバム、1983年発表のLPアルバム、バンド名と同名の『Strafe für Rebellion』に付録としてついてきたEP版シングルのA面に収録されていたもの。珍しく彼らの作品の中ではとりわけポップにまとめられた一曲。こんなマイナーな曲、YouTubeにあるかなと思って探したらしっかりありました。世の中には物好きな人もいるもんだと思いましたが、もしかしたらこれってご本人?もしくは版権を持ってる人かもしれません。たまに気づかぬうちに口ずさむ、不思議で変な曲。題名の意味すら分かりませんが、良い曲です。
『続・フィリピン・南国の光』 歓迎会
2019.12.06 (Fri)

今回もいつものように歓迎会を開いてもらいました。

といっても、主役は御連れのお二人、
私は付録のような物。
しかも一番楽しんでいるのは地元の人だったりします。

地元の温かいもてなしと地元の美味しい食材と。
旅行先で現地の料理と出会うとき、それは日本国内でも同じなのですが、その土地のことを全く知らなかったとしても味覚というものは『言語』と同じだから、今まで学校や受験勉強で蓄積してきたその国の歴史とか風俗とか文化とか、机の上での様々な知識が一瞬にしてその料理の一皿に凝縮し今までバラバラだった事柄が一直線上に一気に集約してくるように感じられます。

と、かっこつけてみたところであっという間においしい料理とおいしいお酒でただただ幸福になっていきます。
特別な酒があるぞと持ってきたのがココナッツで作った自家製醸造酒。
「うん、マズイ」

パーティの恒例の催し物が始まる前にほろ酔い気分でちょっとお散歩。
うちの裏庭で見つけた生まれたばっかりの子犬三匹。捨て犬かと思ったらお母さんはパーティー会場に出張中。
今日は彼らもごちそうにありつけるからね。

ご馳走にありつけたのは犬ばかりではございません。
いつもは一人寂しくお食事の少彦名、大勢で食べるだけで料理の塩味が増していきます。

ということでビールの追加。
タダ飲みでは申し訳ないのでお兄さんを捕まえて、家族が沢山なのでどのお兄さんかは定かではありません、自腹を切ってビール3ケースお買い上げ。

昨年に引き続き子供たちの出し物は熱気にあふれたセクシーダンス。
熱狂的な音楽に合わせ、躍動する少女たち。

躍動するおばさんたち。

男たちはただただマッタリと飲んだくれておりました。

Emma Louise - 17 Hours
エマ・ルイーズ
グレート・バリアリーフで有名な観光地、オーストラリアのケアンズで活躍するシンガーソングライター。2013年発表のファーストアルバム『vs Head vs Heart』、頭vs.心、邦題にするなら“理性と感性” “心と体”ってところでしょうか。聴くものを静かな水面にやさしく抱き留めてくれる心優しい秀作、派手ではないですが一服のコーヒーのように心を落ち着かせてくれる美しい一枚です。これがデビューアルバムのようなのですがこの作品以前に、自主製作なのか、『Autumn Tongues』という4曲入りEP版シングルをリリースしているようですが残念ながら聞くことはできませんでした。
オーストラリアのミュージシャンにはイギリスでもない、アメリカでもない中間的な魅力があります。悪く言えばどっちつかずな、よく言えばいい塩梅にバランスの取れた秀作を数多く見出すことができます。時には『AC/DC』のように傑出した突然変異な快作があったりして探す方もわくわくします。本作は全編にわたってエコーのきいた透明感のある、どこか懐かしいノスタルジックなサウンド。今夜のように過ぎ去った楽しい思い出に浸るにはぴったりかもしれません。
2018年11月14日に3枚目の最新アルバム『Lilac Everything: A Project By Emma Louise 』を発表しています。こちらはジャズテイストな、なかなかソウルフルな作品。何曲かはこれ誰?ってくらいかなりの低い声で録音されています。地声かなとも思いましたがもしかするとボイスチェンジャーなどの音響機器で男性の声に変えて似せた収録なのかもしれません。何分資料が少なすぎて詳細は不明。興味のある方は自力で調べてみてください。
追記
今夜紹介したエマ・ルイーズのアルバム、『vs Head vs Heart』には発売時期、リリースされた国によって曲順や収録曲の違う様々なバージョンがあるようです。私の持っているものは全11曲、オリジナル版と思われるものには載せられていない「Jungle」などの秀作が通常のボーナストラックではなく、8曲目、作品の途中に挿入されています。11曲目はわざとクリックノイズが長時間録音されていてアナログ盤の雰囲気を再現しながらちょっとしたいたずらが仕込まれていました。アフィリエイトに掲載したのは韓国版、全14曲で曲数も一番多く曲順も他国のものと大幅に違います。
Emma Louise - Boy


『続・フィリピン・南国の光』 マラゴンドン
2019.05.21 (Tue)

友人の奥さんの生まれ故郷、Maragondon にやってきました。
何にもないところだけど、フィリピンといえば私にとってはここ、ここがフィリピンそのものなんです。

何にもないんですけどね。
でも、そこがいいんです。
そもそも、私は田舎にあこがれて移住したのですが、いざ、生活の場を自然の中に移してみると、これが、なかなかどうして。自然を手なずけるのは相当根気がいる。というのも、わたし、百姓ですから。いわば、大自然が私の職場。萌え出づる春などと風雅なことは言ってられないんで、草が伸びれば草刈り機でぐいーんと刈り取らなきゃいけないわけです。

そこ行くと、生活から離れて、それも普段目にすることのない南国の草花に囲まれていると、本当に解放された心の底からリラックスできる時間を見つけられる。
だからって、今の田舎生活がストレスだといってるわけじゃないですよ。ぐいーんと草刈機を回してる時でも十分リラックスしてますから。

途中で出くわした田植えの風景。
なんだい。タバコなぞくわえて、不真面目にもほどがある、と思ってはみたものの、日本の田植えは今じゃ機械でハンドル握ってればあっという間に終わっちゃう。
こうやって、見ず知らずの外国人に笑顔で対応してくれる南国の人々。もし俺が野良仕事で忙しくしてる最中に白人がカメラ向けてきたらにっこり笑っていられる、そんな心の余裕が俺にはあるだろうか?

村のメインストリート。ちょっと華やかになったのかな。こんな街灯一年前にあったかしら。

遠目から外国人観光客の動向をうかがう小さなギャング。
旅行をしているとこういう瞬間が一番わくわくします。

やおら、歓声を上げて駆け出す子供たち。

南国の道の両脇には食べ物が普通にある。

逃げたかと思うと、また近寄って。
不思議な日本人の後を、歓声を上げながら追ってくる。
お互いに一言も言葉を交わすこともないが、孤独な旅人にとっては、最高のコミュニケーション。

いつの間にか集まっていた村の悪ガキども。
そっか、タイヤを転がしてた子はまだ自転車を買ってもらえないのかな。

ススキが生えて、竹林が連なって、ヤシの木が生い茂る風景はちょっと不思議。

部落に戻れば恒例のパーティーの準備で大忙し。

子供たちも出し物の稽古に余念がありません。

Fra Lippo Lippi - Some Things Never Change
Fra Lippo Lippi
1978年結成、現在でも活動中のノルウェーのバンド。83年発表の彼らのファーストアルバムからの一曲。私の記憶の中からはすっかり忘れ去られていた、このアルバムを入手した動機すら判然としない忘却の一枚。今回も記事に掲載するための選曲にあたってたまたま自分のライブラリーの中から偶然手に取ったもの。バンド名だけはどこかで聞き覚えのあるものだったがジャケットすら記憶にないところを見ると入手したのち、ほとんど聞いたこともなかったのだろう。改めて聞き返してみると過去に記憶のないメロディーだったうえに予想通りのなかなかの駄作っぷり。いわゆるニューウエーブな作品群の中にあって箸にも棒にもかからないちんけなシンセチックポップスな一枚。もし救いがあるとすればこのファーストアルバムがそれほどコマーシャリズムに走らず、アンダーグラウンドの域を出ない可愛らしい小品に収まっているところ。聴きようによっては感傷的な自主出版の個人詩集のように聞こえなくもない。その後、彼らはポップ路線に特化してメジャー進出を果たし日本のドラマなんかでも主題歌として使われていたそうです。
で、なんであらためて彼らを取り上げたかというと、これも、今回調べて分かったことなのだが、なぜか彼らの音楽はフィリピンでとっても人気があるようなのだ。現在でもフィリピンを拠点に活動を続けているのだそうで、たまたま手に取ったジャケットが最終的にフィリピンにつながっていくなんて、そんな展開、思ってもみない奇跡的なオチということになる。もし、今回偶然に目に触れることがなかったなら、所有していたことさえ一生気付かずに通り過ぎて行ってしまったことだろう。
そこで、改めて何故このアルバムを持っているのかと推理してみるに、彼らがメジャーからデビューする前の所属レーベル、ドイツの『Ata Tak』に理由がありそうだ。当時 Ata Tak にはホルガ―・ヒラー、DAF、ディア・プランなど、時代の最先端を行く私の好きなミュージシャンが多数所属していた。そんな中、フラ・リッポ・リッピ『Small Mercies』は期待を込めて購入した一枚であったようなのだが、見事にその期待は裏切られたということらしい。今回彼らを選曲したのが奇跡的な偶然だったことは間違いないが、そう考えてみると先に駄作とかたずけてしまったこの曲の稚拙なメロディーも何やら愛おしく、そして可愛らしく心に響いてくるではないか。いろんな意味で甘酸っぱい一枚ではある。
『続・フィリピン・南国の光』 ただいまフィリピン
2019.05.16 (Thu)

久しぶりの夜の街にとくに羽目を外すわけでもなく、名古屋だというのにリンガーハットでちゃんぽんの大盛りを平らげ。もう何年ぶりだろうか、こうやって自由に外食を楽しんだりするのは。と、生ビールを片手に窓の外を行きかうコートとマフラーで身を固めた行きかう人々の雑踏をぼんやりと眺めながら、山の暮らしの長い禁欲生活が、こんな一般人から見れば大したことのない些細な出来事を非日常のように自分にはいたく幸福な時間に感じられて、そんな風に考えていると非常に得をしたようになって、そのままホテルなどには泊まらず、缶ビールとネットカフェの小さな仕切りの雑魚寝も遠足の前日のような興奮で夢とうつつの境をさまよいながら、まだ明けきらぬ冬の都会の街を久しぶりに乗車する空港への始発電車に乗って、朝焼けの中、消えようとしている街の明かりが尾を引いて飛び去ってゆく車窓の風景がレールをたたく音とともに旅立ちに色を添えた。

友人夫婦と空港で待ち合わせして、ルーティーンの最後の食事のラーメンを食べて、東京からの連日の強行軍にこれから旅行だというのに疲れ果てて起きてみたらもう常夏の蒸し暑い、南国の臭気の中に僕はいた。
マニラから家に向かうハイウエーは海の真ん中をまっすぐに突っ切っているようで、カキの養殖場やら塩田やら、行きかう大型船と共にマニラ湾に広がっている。ヤシの茂みの間からはバラックのスラム街が灰色に軒を連ねていてお世辞にも綺麗な海とは言えないが、途中、屋台の海鮮やに止めてもらって、何も手土産がないものだからマニラ湾のムール貝を一抱え買い物した。

ムール貝の塩辛。調味料のように使うのだそうだ。
昔はムール貝を『カラスガイ』『死出貝』とか呼んで日本では好んでは食べられなかった。

刈り取られた田んぼもあれば、田植えや今が盛りの田んぼもある。いったい、フィリピンでは一年に何毛作するのだろう。

途中スーパーに寄って。
普通に危険で危ない風景。

トイレは手桶でセルフサービス。

家に着いたら待っていた家人からの特に大げさなお出迎えもなく、いたって普段通り。三日ぶりの帰宅のように、到着するなり当たり前にくつろいでる。
カレーリーフさんから届いた包みの中に入っていた『ナショナル手拭』今は無きサトームセン葛飾柴又店、大変貴重な昭和ノベルティーグッズが今回の旅のお供。

昨夜の名古屋の一夜のほうがよっぽど自分にとっては世間離れした非日常だったな。

フィリピン最初の食事。
近所の小さなローカルハンバーガー屋と、キンキンに冷えたレッドホースの一リットル瓶。この後地元の悪い友達と買ってきたムール貝を酒蒸しにして南国の夕べにビールで酒盛り。
一年前と全く変わりないフィリピンに「ただいま帰りました。」
案の定、次の日おなかを壊しましたとさ。
The Young Rascals - Groovin'
ラスカルズ
1964年結成のアメリカのバンド。ブルー・アイド・ソウル、黒人音楽であるソウルミュージックを青い目の白人が演奏するという意味のジャンルに分類されているミュージシャン。当初はヤングラスカルズと名乗っていたが後にラスカルズと改名。出会った当時、身なりも行動もとんがっていた私にとっては最新のダンスミュージックや超過激なアバンギャルドよりもこの古ぼけた楽曲たちのほうが、それはそれは飛び切り新しい「超新鮮」な音楽だった。彼らの演奏を一通り通しで聞いていると、改めて音楽に対する姿勢みたいなものを再認識させられる。派手さや目新しさこそないが、肩の力の抜けた、それでいてキャッチーな音楽本来の持つグルーブがそこにはある。近頃の余白をすべて音で埋め尽くしてしまった、辛抱のない、街中で騒々しくなっている『音楽』のような物、PCのキーボードで打ち込んだ隙間のないシュミレートミュージックやジャストの音程を保ち続ける無機質なボーカロイドばかりしか聞かないきょうびの若い連中こそ、こういったグルービーなリズムに耳を傾けてほしい。一家に一台、迷った時の常備薬、気づけば体の芯から健やかに効いてくる漢方薬のような音楽です。
THE YOUNG RASCALS - A Girl Like You

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『続・フィリピン・南国の光』 名古屋の夜
2019.04.19 (Fri)

ついこの間、やっとフィリピン旅行の記事を書き終えたと思ったら再び再渡航です。
今回は名古屋で一泊、前日まで東京で祖母を見送って、そのまま長野の自宅へは戻らずに高速バスで名古屋入り。
名古屋の街はナナちゃんのメイド姿でお出迎え。田舎暮らしの長い私は久しぶりの華やいだ夜の街に、葬式帰りというのも忘れてのお上りさん気分丸出しです。

大きなバックを抱えて街を歩き倒し、一通り名古屋の街を散策した後、東京の母親に電話をした。
「戒名変えることにしたから」
100歳のばあちゃんが死んだ。ばあちゃんが死んで葬式の準備という時に母親が電話をかけてきた。「おばあちゃん、西だっけ東だっけ?」と唐突に素っ頓狂な電話をかけてきた。
西か東か?西本願寺か東本願寺かってことらしい。しかし、そんな相談は今まで受けたこともないし、当然ながら今までそんなことは考えたこともない。身内の葬式は爺さん以来、もう何十年ぶりのことだ。
「いろいろ周りに聞いてみる」
そのまま電話を切ったものの、こちらの親戚に聞いても、そりゃ、長野にはつれあいの爺さんの縁故はいないからわかるはずもなし。それでも心当たりを方々あったてみたが、また母親から「大丈夫だから」と電話がかかってきた。
急ぎ帰郷して、当日葬式始まったら、うちは親せきが少なくって家族葬ということにはしたものの集まったのは東京にいる10人と長野の私だけ。そんな少人数ということもあって葬式の段取りなど相談できる人も少ない。みんな顔をそろえたところでお通夜が始まってみると、あれ?なんだかいつもと様子がちょっと違う。おや?聞いたことないお経だな?坊さんの説教もなんだか変な感じ。大体お経が平明な口語体で聞いててあらかた意味が解るような。
で、どういうことかというと、そもそもの宗派、浄土宗と浄土真宗を間違ってたわけ。
「西だっけ東だっけ?」
いやいや、浄土宗?真宗?て聞かれてたら、「そりゃ、浄土宗だろ」って答えてたのだろうけど。いきなり電話口で東西を問われたら、それはどっちだっけ?ってなってしまいました。
爺さんも、ばあちゃんの親類もみんなみんな浄土宗なのに、違う宗派の戒名つけられて、違う船に載せられて、せっかく100歳まで生きたのに、今じゃ、みんなと違うところに独りで送られてきっとばあちゃん、今頃此処は何処?って迷ってるよ。

「お経あげなおしてもらって戒名も浄土宗に変えてもらったから。」
何ともあっけらかんとしたものだ。うちの家族はいつもこんな感じ。そそっかしいし、一番肝心なところが抜けている。
ばあちゃんは痴ほう症を患って10年近く施設に入っていた。入所した当初は体も弱っていて一年持たないんじゃないかと思っていたが、都会のマンションで一人で暮らしているより施設の生活のほうがあっていたのか、あれよあれよと見る見る元気になってとうとう100歳の天寿を全うした。そもそもうちの母方の家系は長生きが多いようで、中にはお通夜の晩に生き返った人もいる。お経を読んでいる最中に棺桶からむっくり起きだして「腹減った。なんか食わせろ」と言ったそうだ。葬式用に並んでいたおにぎりを三つ、ぺろりと平らげて、そのばあさまはまた三日後に棺桶に逆戻りした。

もう、フィリピンへの飛行機の予約はしてあったし、父親も旧友たちと沖縄旅行を予定しており、二人の姪っ子、ばあちゃんにとってはひ孫の二人はともに受験で追い込みの日程は超過密だし、母親は実の母の宗派も間違えるで、そんな家族が右往左往する中でとうのボケてしまっていたはずのばあさんが一番しっかりしていたようで、みんなが一人も欠けずに集まれるように家族の多忙な日程を縫ってピンポイントにその日と選で100歳の長い人生に幕を下ろした。
二日前にばあさんの葬式を済ませた私は、長距離バスに揺られて西も東も分からない名古屋の街についたばかり。まばゆいばかりの大都会のネオンを眺めながら夢なのかうつつなのか、なんだかふわふわしたようで、そのうえ、明日には飛行機でフィリピンへ。久しぶりの都会で羽を伸ばそうと夜の街の客引きの声に耳を傾けてはみたものの、なんと、名古屋のキャバクラの相場がそれはそれは高いこと。東京なんかよりも二割は高い。
「今夜はおとなしく、やめておくか。」
母親の電話を切った後、冷たいベンチに腰を下ろしながらコンビニで買いこんだ飲みかけの缶ビールを片手に街のネオンを眺めていた。
暮れの賑わいに雑踏の行きかう夜の街。ばあちゃんのお見舞いに行ったとき、老人ホームの近くの公園で、車いすを押しながらばあちゃんと一緒に大声で歌った『木曽節』を今夜は独りで口ずさむ。
「心置きなく楽しんでおいで。」
そう、ばあちゃんが言ってくれているような気がした。

Vashti Bunyan - Just Another Diamond Day
覚書;18日に稲の苗起こし、今日はインド野菜の畑準備、マルチ敷設。明日はモロッコインゲンの畑の石灰処理。ジャガイモ準備。
以前『アクアテラリウム』で紹介した『ヴァシュティ・バニヤン』の名作。
いろいろ考えるのがめんどくさい時、畑仕事で疲れた時はいつもこの曲。


『フィリピン・南国の光』 帰国
2019.03.05 (Tue)

あれから何日間かの残りの日々はこの小さな食堂で過ごすことが多くなった。

家で食事をしてからの二度目の朝食。
給仕の女の子と会話したり、来店するお客さんを観察したり、表の往来をぼおうっと眺めていたリ。

帰国前日、お店のお姉さんをデートに誘った。
お店のオーナーでもあるお母さんに承諾を得て忙しいレストランをしばしお休み。友達のトライシクルでお出かけ。

『SMモール・パラパラ /Sm Pala-Pala - Dasmariñas』
SMプライムホールディングスが運営する巨大ショッピングモールの一つ。 SMプライムホールディングス、フィリピン各地でショッピングセンターや映画館などの娯楽施設を運営する大手デベロッパー、フィリピン最大の超巨大企業です。ショッピングモール・パラパラ、その規模と売り場の多様性、館内の華やかさは日本のショッピングモールをはるかにしのぐものがあります。特にレストランを含めたフードコートは高級志向のレストランから地元のソールフードまで多種多様なバラエティーに富み、各階を一周すればフィリピンの街をわざわざ散策しなくてもフィリピンの現在がわかってしまうほどです。
そのうえ、何より驚くのは彼らフィリピン人の購買意欲。来店客の熱気で満ち溢れた館内の活気を目の当たりにするとこの国が日本よりもはるかに貧しい国だということをついつい忘れてしまいます。

女性とのデートの場所に困ったときはショッピングに限ります。
日本でもほぼ食べることのないピザは私にとっても実はごちそう!

ペットショップで見つけたフィリピンのザリガニ。『Blue Fortune Lobstersr』 体長も小柄で、5センチくらい、カラーリングもグッド!金額が300ペソ、日本円で650円。持って帰れるのなら買ったかも。5匹購入で一匹サービス、プレゼント。

帰国前の何日間かは何もせずにぼんやりと過ごしました。
行商の魚屋さんと交渉中のご主人。

ほんのしばらくの滞在だったけどその間にこの子も大人っぽくなった気がします。

ジープニー勢ぞろい。ヤシの木バックにいかにも東南アジアといった風情。

ゴミだらけの空き地で人知れづ寄り添う子猫と白い犬。

毎日同じところをうろうろしてればそりゃ顔も覚えられるって。

丸々一年たって、去年の暮れにフィリピンに戻ったときはもうこのお店はありませんでした。
あのお姉さん、どこ行っちゃったかな。

ゲームに興じるタクシー運転手たち。カメラを向ければいつもこんな感じで自然な写真を撮る方がむづかしい。

フィリピン最後の食事は大好きなトウモロコシ。本当はタガイタイの車中から見た大きなトウモロコシが食べたかった。

Yeng Constantino - B.A.B.A.Y
ショッピングモールのピザ屋でかかってた曲。サビのところだけその場でメロディー覚えてモール内のCD屋で店員に歌って見せて即く購入。18曲入りベストもので250ペソ、500円。
イェン・コンスタンティーノ / Yeng Constantino は、フィリピンのトップアイドル、俳優でもあり自ら作曲もこなすフィリピンを代表するミュージシャンです。街中で流れるフィリピンの歌謡曲を聞いてみるとゆったりとしたバラード風の曲が多いようですが、お土産のCDを聞いてみるとバラードあり、コミカルなものあり、ダンサブルなものありで、ベスト盤ではありますが一通り、通しで聞いてもなかなか聴きごたえのある一枚です。ただただ可愛いだけじゃなく何よりちゃんと音楽してるところはやはりトップの音楽家。こうやって現地に行ってその国で流行っているポップソングにリアルタイムで触れる度に、その度に日本の芸能界の程度の低さをまざまざと実感します。
Yeng Constantino - Pag-Ibig
ワンカメ一発撮りですね。途中危ない場面もありました。
最後の拍手はきっとマジな拍手。
Yeng Constantino - Jeepney Love Story
思い出した!ピザ屋でかかってたのはこの曲。
ジープニーに乗ると動画のように手渡しで運賃を運転手まで運んでくれるんだよね。
さて、彼女の恋の行方は?私の場合、ジープニーではなくトライシクルでしたけど。
彼女の曲は彼女の声質もあるのでしょうか、切ない感じの曲が多いいです。
『フィリピン・南国の光』 共同墓地
2019.02.28 (Thu)

タガイタイから帰って身を持て余した私はビール片手に再び夜の街にふらりと。

街の空気銃屋さん。鳥でも撃つのでしょうか?

ネットカフェ。近所に二三軒ありました。子供たちのたまり場になっています。

レストランの食事より、こういった暮らしに根差した食べ物のほうがいい。軟骨やレバーを甘辛く油で揚げた焼き鳥。なんですかと聞いたら『ペップ』と言っていた。食事というより子供のおやつといったところ。かばんを背負った子供たちが群がるように買っては頬張っていた。2,5ペソ、一本5円。

家からすぐ近くの小さな大衆食堂。
友達の奥さんから、『おなか壊すから、ダメ!』と強く言われ続けていた街での買い食いですが、ジョリビーやデパートのレストランじゃフィリピンに来た気が全くしないので、禁を破ってお忍び夜食。
イワシでしょうか、魚の酸っぱいスープ。昼に食べたタガイタイのレストランより数倍おいしいです。

食堂のお姉さん。
禁を破って良かったというか、もっと早くに来ていればよかったというか。

おなか一杯になったし、疲れたから帰ろうと思ったっら滞在先の親戚のおじさんに捕まってしまいました。彼にはこの旅の間にもう三回も街を歩いてるときに捕縛されています。
二日前にたった一人の兄弟、お兄さんが無くなられて、その後、彼とは初めて会いました。そのまま家に招かれて何を話すでもなく二人でビールを酌み交わします。

次の朝、何故か私を迎えに来たおじさん。別に用事もないので彼の車で一緒に出掛けることに。
Immaculate Conception Parish Church of Dasmariñas (なんて訳していいかわからないダスマリニャスの教会)のお祭りのシンボルは確かチョウチョだとか。

市内の共同墓地。
私は車の中で留守番です。

その後、ダスマリニャスの警察署へ。
正面から見た様子。シティーホールですから日本でいえば『合同庁舎』といったところでしょうか。裏側は警察署、正面は市役所になってるようです。

クリスマス直前なので署内はプレゼントの山でごった返しています。

死亡届の提出か?埋葬許可証か?おじさんは何か所も部屋を渡り、淡々と手続きを済ませています。なぜ私を連れてきたかはわかりませんが、一人だと心細かったのでしょうか。一人廊下に取り残された私はクリスマスの飾りつけを眺めたり、窓の外の街の様子を眺めてみたり。

Michael Rother - Silberstreif
ミヒャエル・ローテルの4枚目のアルバム『熱地帯/ Fernwärme 』から、冒頭の一曲目。この曲は一時期就寝時に毎晩のように聞いていました。ミヒャエル・ローテルはドイツのギタリスト。ノイ! / NEU、ハルモニア / Harmonia の二つのバンドを結成、ドイツ音楽史の中心的存在として現在もソロ活動を続けるドイツ音楽界の重鎮です。随分前に『いよいよ野良が始まる』でも紹介しました。でも、今日の主役は彼ではありません。彼のソロアルバムでは必ずバックを固めていた伝説のドラマー、私の大好きなミュージシャン、ヤキ・リーベツァイト /JAKI LIEBEZEIT です。実は、昨日まで彼がこの世を去っていたことを全く知りませんでした。この記事を書くのとは全く別個に、中学生の時からミヒャエル・ローテルの大ファンでしたから彼のFacebookってあるのかしらとフォローしたり、そうだ、大好きだったヤキ・リーベツァイトもフォローしてみようと探していたら、2017年、1月の22日に亡くなっているじゃないですか。死因は肺炎、正直ショックです。78歳といいますから、何かあってもおかしくないのでしょうが、そもそも年齢すらも知りませんでしたから。自分のあこがれのスーパースターはいつまでたっても年老いづに若いままなわけで、それよりも亡くなっていたことに今まで全く気が付かなかったのが何ともさみしいです。CANやその後のシューカイの作品、ミヒャエル・ローテルやその他、先鋭的なミュージシャンとの数々のセッションはどれもこれも素晴らしい輝きを放っていて、まるでマシーンのようにジャストで刻み続ける彼の正確無比なリズムは決して機械のように無味無臭では決してなく、彼が正確にリズムを刻めば刻むほど彼のパーカッションは雄弁に音楽の何たるかを我々に語り掛けてくれる。彼の参加したすべての楽曲は決して彼以外の人間には再現できない豊かな表情を私たちに見せてくれます。
そして、今日重ねてショックなのが、ヤキの盟友、ホルガー・シューカイも彼の後を追うようにその年の9月5日、彼の遺体が彼のアパートでかつてヤキとレコーディングしたであろうスタジオ内で発見されたと、死因は不明、これもたった今、この記事を書いていて初めて知りました。不覚といおうか、本当に無念です。ヤキの代わりを務めることのできるドラマーは彼にとってはほかにはいなかったのでしょう。
では聞いてみましょう。彼らの作品をあと一曲でも二曲でも、一つでも多く聞いてみたかった。
Holger Czukay / Cool In The Pool
Phew / Closed
Phew / P - Adic
Can / Vitamin C
JAH WOBBLE / JAKI LIEBEZEIT / HOLGER CZUKAY
How Much Are They?
Friedman & Liebezeit "182-11" LIve
Holger Czukay / Persian Love





『フィリピン・南国の光』 タガイタイ
2019.02.24 (Sun)

昨夜までの雨もすっかりあがって街にはうっすらともやがかかったしっとりとした朝です。
子供たちを学校にお見送りした後滞在先の夫婦と友人と4人でタガイタイまでドライブです。

ダスマリニャスから二時間ばかり、タガイタイ / Tagaytay はフィリピン有数の避暑地。眼下にはタール湖が広がり湖の真ん中には活火山である火山島が見えます。湖自体が火山活動でできた巨大なカルデラ湖ですからタガイタイは火山の外輪に広がるリゾート地といった感じです。

避暑地といっても南国の、標高も700メートル程度なのですっごい暑いです。お金持ちや外国人が好んで訪れる場所なのでしゃれたホテルが数多く立ち並んでいます。

ちょうど一年後の去年の暮にも訪れたのですが、さらに一見してわかるくらいにホテルの数が増えていました。バブル景気なのでしょうか、かなりのスピードで開発が進んでいるようです。

そんな高級リゾート地での私の朝食。コンビニ肉まんとローヤルクラウン・コーラ。肉まんは日本のものより大振りで具沢山、日本で誕生したコンビニの肉まんあんまんはすでに世界に通じる立派な日本食といっていいでしょう。

高級ホテルの木陰のベンチで観葉植物に囲まれながらしばしのリゾート気分。

ソニアス ガーデン / Sonya's Garden
タガイタイの南国植物園。園内にはレストランやカフェ、パン屋やおしゃれな雑貨屋などが点在しています。

零れ落ちそうな南国の緑と花々。手の行き届いた園内は落ち着いた雰囲気でただ散策するだけでも十分癒されます。スパやコテージもあって宿泊も可能。ガーデン内での結婚式も挙げることができるそうです。おすすめです。
『Sonya's Secret Garden』

園内の果物屋さん。タマリンドとロンガン。
タマリンドはインドでもすっぱみを出す調味料として頻繁に使われています。

「次はパゼールマンションだよ」
パゼールマンション?パゼールって何だろう?
広大なパイナップル畑を抜け、急こう配のとてつもなく長い一本道を急降下すると・・・・このブレーキも効かないジェットコースターのような下り登りはなかなかの見ものです‥‥到着しました。

パズルマンション / The Puzzle Mansion、ジグソーパズルの美術館です。1000点以上のジグソーパズルが展示されています。館内にある膨大なパズルを完成させたのはGeorgina Gil-Lacunaというたった一人の女性。ギネスブックにも認定されました。残念ながら2014年に他界され彼女のコレクションはもう増えることはありませんが、所狭しとパズルで埋め尽くされた館内は壮観なばかりです。美術絵画から風景写真、動物や映画スターなど主題は多岐にわたり下手な美術館で絵画鑑賞するよりもいいかもしれません。入場料は100ペソ。彼女の情熱は二歳の時に手に入れたミッキーマウスのジグソーパズルから始まりました。

作品の中には立体的なものも。日本に由来する作品、浮世絵とか水墨画とか、かなりの数ありました。館内には展示品と一緒に彼女の若いころのポートレートが小さな写真立てに入って飾ってありました。非常にエレガントな美しい女性だったようです。

タガイタイの街道沿いにはたくさんの園芸店の露店が軒を並べています。敷地に並べられたなんちゃって盆栽。ブーゲンビリアで仕立てた盆栽なんかもあります。

お昼はタガイタイの高級レストランで。緑に囲まれたおしゃれなコテージ風のオープン個室。
Devine & Statton - Under the Weather
Devine & Statton
ヤング・マーブル・ジャイアンツ、ウィークエンドのアリソン・スタットンと、マンチェスターのバンド、ルーダスのギタリスト、イアン・ディヴァインの二人組ユニット、1988年の作品。残念ながら彼らのアルバムは所有しておりません。なので紹介するCDはクレプスキュールのオムニバスアルバムから。当時、同レーベルに所属していたミュージシャンによるコンピレーション・アルバム。いい曲も悪い曲もごっちゃに収録されてるけど当時のヘタウマな雰囲気を感じるには手っ取り早い一枚。もう30年も前の音源ですがこの手のたどたどしい作風は多くの宅録少年少女たちに今もなお連綿と受け継がれています。
ヤングマーブルジャイアンツとウイークエンドは私の好きなバンド。過去にも紹介していますので興味のある方はこちらをご覧ください。
『僕が少彦名を名乗るわけ』

【メール便送料無料】クレプスキュール・フォー・カフェ・アプレミディ[CD]