インドのコロナ
2020.09.26 (Sat)

南インドの国民的歌手、S・P・バーラスブラマニアム/S P Balasubrahmanyam/எஸ். பி. பாலசுப்பிரமணியம் が25日コロナのため亡くなりました。享年74歳。このサイトでもたびたび紹介していた南インドの映画音楽で私が一番好きな曲、タミル映画『Chinna Thambi』の挿入歌『 Povoma Oorgolam 』を歌ったプレイバックシンガー。歌った曲は実に4万曲以上、「世界で最も多く映画の曲を歌った男性歌手」としてギネス世界記録に登録されている偉大な人です。
現在、インドではコロナ患者が急激に増えています。多くの映画俳優もその猛威に次々と倒れていると聞きます。
Chinna Thambi / Povoma Oorgolam
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奇譚、目黒寄生虫館 参
2020.09.09 (Wed)

前回からの続きです。
『奇譚、目黒寄生虫館 壱』
『奇譚、目黒寄生虫館 弐』
長期のインド旅行の結果、お腹のお友達とともに無事帰国したすくなひこな。帰国後真っ先に、目黒寄生虫館に電話いたしました。
「ぜひ、来館ください!いろいろ話を聞きたいので!!!」
少々興奮気味の寄生虫館館長さん、
次の日曜日に行く約束をして。

常夏のインドから極寒の東京へ、
季節は冬、真っ黒のフェイクファーのコートとエナメルのとんがった靴というインドでのバックパッカー姿を見ていた人なら思わずのけぞるゴージャスないでたちでそれこそ場違いな目黒寄生虫館におっとり刀で出かけたのであります。

日曜ということもあり、寄生虫ファンの見学者で小さな館内はそこそこにぎわっています。不思議なことに原宿なんかを歩いているような若いカップルなんかもいたりします。
いつも思うのですがこの博物館、展示は奇異なものですが見に来る人は若い普通の人たちが多い印象です。
受付で事の次第を伝えて入館。
事務所の鉄扉の見える廊下で壁を背に待っていると、その扉が勢いよく開いたかと思うとまだ壮年な若々しい館長さんが飛び出してきました。

「君か!お腹から虫が出ったっていうのは!!!!」
館長の大きな張りのある声が館内中に響き渡ります。
その勢いにたじろぐフェイクファーのすくなひこな。
来館者のすべての目が廊下にたたずむ哀れな一人の男に注がれています。
「ささ、こっちに来なさい!いやー、めずらしいなーーーー!今時寄生虫がお腹の中ににいるなんて!!!いやーあなたは貴重だ!!!で。どんな奴だった!!!色は?形は?大きさは?」
貧血でしょうか?瞳孔が閉じていきます。きゅうと視界が狭まっていくのを感じます。全館の視線を一身に浴びながら、しかし私自身は周囲を気にする余裕もありません。
「さあ、どれなんだ?ここに並んでいる標本のうちの一体どれが君のお尻の穴から出てきたんだい?」
気がつけば私は館長にいざなわれ標本群の並列された陳列棚の前に立っていました。

「さあ、この中に君の見たものと似たものはあるかい?」
陳列ケースに10種類くらいの標本がきれいに並べられています。
私は右から左からしげしげとその標本を凝視しながらあの日、私が別れを告げた友達の姿を思い出そうとしています。
その標本の中には蟯虫やら回虫やら、昔からなじみのある連中も顔をそろえています。

「これ、ですかね・・・この小さいやつ。」
私はその中の一つを指さして館長に伝えました。
「おう、こいつか、これはなかなか珍しい。ところで、旅行中だんだん痩せていったとか、これがいたのならどんなに食べてもその間太らなかっただろ?」
インドの食事は大盤振る舞いである。特にタミルなどの南インドに行くと普通に食べ放題である。昼食時はどのレストランでも『ミールス』と呼ばれるランチを提供する。
さて、ここで少し読者には断っておかなければいけない。ミールスとはインドの言葉ではない。インドを少しばっかり聞きかじった人間によくある間違いなのだが『ミールス』というものをある固有のメニューだと勘違いしている輩が多くいる。ミールスは英語。ご存じの通りミールスは英語で単に食事のこと。タミル地方のお客に提供する食事のスタイルをイギリス人が『ランチ』と呼んだだけの話なのである。タミル語で料理全般をカレーと言っていたのをイギリス人がカレーという料理として限定して命名したのと一緒である。日本のインドレストランでミールスを見つけて『なんで食べ放題じゃないだ!!!!』とインド人店員に食って掛かるにわかインド通には今後注意していただきたい。
「そういえばいくら食べても太らなかった気がします。」
タミルでミールスを頼むと際限なくご飯からカレーからアチャールから器に放り込んでくる。「やめて!」と言わない限りバケツとお玉を持って店内を歩き回っている子供たちが私のお皿めがけて烈火の速さで投げ込んでくる。最初のうちはその素早さに慣れていないものだから制止する間もなく気がつけば目の前にはホッカホカのインド料理が山盛りになっていることになる。最後にはテーブルに覆いかぶさって「もうやめて!」と小僧に嘆願することになる。インドで食事の提供は神に仕える一つの形。特に南インドではその傾向が顕著だ。インド料理は北より南の方が格段においしい。量もおいしさも底抜けなのである。

「あれだけ食べたのに一時期から太らなくなった気がします。それはすさまじい量でしたが逆に痩せて精悍になった気がします。暑さのせいだと思ってました。」
「そうだろう、こいつがどんどん栄養吸い取っちゃうんだよ。こいつがいると人間、太れなくなるんだよ。」
「ところで、何か大変なことになりますか?病院に行った方がいいのでしょうか。」
「心配いらないよ、人の中では長くは生きられない。そのうちいなくなってしまうよ。便から出てきてからどれくらいだい?うん、うん、そうか、それならもう君のおなかの中にはいないはずだよ。」
「ところで、やっぱりこいつは口から入ってくるんですか?」
「いいや、君、サンダルで歩いてたろう?足の皮膚から入ってくるんだよ。素足で汚染された泥の中とか歩いていると足の皮膚からが入り込んでくる。」
「そいつが血管に入り、心臓を通て肺に入り最終的に腸にたどり着いて排便される。たまに他臓器で悪さをすることもあるけど今のところ問題なければ大丈夫だよ。」
私は館内の来館者の視線を一身に浴びショーケースの中の “十二指腸吸血虫” の肌色の標本を、うつむき加減に凝視しながら館長の言葉にうなずいていた。

これが目黒寄生虫館にまつわる私の体験談
日本ではもはや消え去ってしまった寄生虫。しかし寄生虫は思ったよりも身近な存在。そのうえ寄生虫は時にダイエットに効果がある。これはのちの、第二回のインド訪問で聞いた事なのだが寄生虫がアトピーなどの過剰免疫疾患に効果がある可能性があるということ。(北欧の女性バックパッカーに聞いいたところ彼女の国では、ノルウェーかフィンランドか、アトピー患者が日本並みに多いそうです。反対に同じ西洋でもスペインやフランスなどの衛生観念が日本より格段に低い国ではそういうことはないようです。要はお腹に友達がいる国ではアトピーなどの清潔病は発生しないということ。アトピー治すのに蟯虫を飲みなさいとは言わないけど、コロナで成功した日本ですが、実はもっと自然となじんだばい菌まみれの健全な生活が子供たちには必要なようです。) そして目黒寄生虫博物館の館長さんはとっても親切で熱心だということ。
皆さん、機会があったら是非目黒寄生虫館に足を運んでみてください。そして、もし可能ならばお腹のお友達と同伴で。
※死に至る寄生虫もたくさんいるのでその辺は気を付けてね。

虫づくし (ハヤカワ文庫NF)
『虫づくし』別役実
劇作家、童話作家、随筆家、別役実の寄生虫等々虫と名の付く物の怪たちの可愛くおかしな随筆集。実はわたくし別役の大ファン、中短編を得意としたファンタジーあふれる幻想的な作風が特徴。特に舞台設定が奇怪なわけではないけれど日常に潜んだ怪奇を丁寧に怪しく紡ぎだし、回り幻灯のようにあなたの部屋の白壁に生々しく映し出す。虫が好きな人も大嫌いな人も一度読んでみてほしい。読後の苦情も真正面から受け付けますよ!名著です。
Gita Gutawa - Parasit
別役実『虫づくし』の初版が1988年のようなのでこの年に巷に流行っていたとんがった曲て何だろうって探したけどせいぜい出てきたのは『ジーザス・アンド・メリーチェーン』くらい。自分のライブラリーひっくり返してくまなくレビュー見ていけば何かしら見つかるんだろうけどそんなのめんどくさいし、どちらにしてもこのころの音楽シーンってパンク終了、ニューウエーブも商業主義でなにもかも出尽くした出がらし状態だったようだから、エンヤとか全く聴く気もしないし、思い返せばこのころは自分が生まれる前の、UKものやそれこそガレージパンクとかフレンチもの、フランスギャルとかそんなのを自分なりに発掘してた時代。巷の音楽がどんどんちんけになってた時代かな。
それで、気を取り直して寄生虫で何かないかなって探してたら突然目の前に飛び出してきた彼女、飛び切り可憐なかわいこちゃん見つけました。
Gita Gutawa インドネシアの可憐な歌姫。時代は2000年だというのにまるで聖子ちゃんをそのままコピーしたようなぴっちぴちの70年代風アイドルの再現です。いやーそれにしてもかわいい!早速アマゾンでCDはないかしらと探してみましたが当該この曲、『Parasit』を収録したアルバム『Harmoni Cinta』は売り切れ状態。中古に至ってはなんと一万円の値が付いてます。アイドル路線を地でいくド直球なこの曲。最近、新しい音源に飢えていた私にとってはまさにラジャスターンで見つけた砂漠のオアシスのよう。インドネシアの人と友達になって何とか手に入れてみようっと。
訂正
1988年が不作の年なんて書きましたが、ありました!というかすっかり忘れてました。私の大好きなバンド。フランスに行ったときにパリのラジオで耳にして速攻で購入した二つのバンド。レ・ネグレス・ヴェルト / Les Négresses vertes とマノ・ネグラ / Mano Negra 。ブログの初期に紹介してます。機会があれば再度登場して紹介したいと思います。めっちゃかっこいいですよ。
『トマトの苗を無料でゲットする方法』
『大根を干す』
Gita Gutawa - Parasit (Live at Music Everywhere)
いいですね。彼女のお父さんは作曲家、この曲もお父さんの作曲、作詞は娘の彼女自身。一目ぼれってこんな感じなんですよね。交通事故みたいなものです。

奇譚、目黒寄生虫館 弐
2020.08.23 (Sun)

前回からの続き。
『目黒寄生虫館 壱』
真っ青な空と眼下に広がる湖と。取り残された二人とラクダ2頭。時折乾いた熱風が大地を渡って行きます。
湖のほとりに座って水を覗き込むと何やらしきりに動いているものがあります。
無数に泳ぐこの生き物が、あれが何だったのか、長い年月がたっているにもかかわらずいまだにその正体がわからないのですが、図鑑の中にも、もちろんネットでも見たことがありません。体は透明で、両手に大きなはさみのようなものを持った、体長は7~8センチくらい。仰向けに泳いでいるのか、ホウネンエビを巨大にして、扁平で幅広、複雑で奇怪な骨格の頭を持ったそれはまるで宇宙から来た生物のよう。そんな奴らがたった今口にした水の中に無数に泳いでいます。

この旅で目撃した謎の生物でいまだに自分の記憶を疑う驚くような者がほかにも二つありました。
一つはネパールの山奥で見た光るゴキブリ(ゴキブリくらいの大きさの昆虫)。山中の丘の上に立つ小さなゲストハウスの玄関から山腹を下る細い階段に出ると、辺り一面、緑色の絨毯のように足元が光っている。よくよく見るとその光は川の水のように右へ左へうごめいてる。湿気のある草の中を大きな昆虫が光りを放ちながらうようよひしめき合っています。その光は私たちの姿を漆黒の闇に浮かび上がらせるほど強かった。
もう一つはインドのバンディクイという小さな町で見た大きな精子型の生き物。円筒型の長い頭と長く伸びたひものようなしっぽ。アブの幼虫がちょうどそんな形なのですがそのサイズがこれまた想像を超えている。頭の長さは10センチ、尻尾に至ってはその倍の長さ。そんな薄気味悪いのが真っ黒などぶの中を悠々と泳いでいました。

さて、小一時間待たされた私たちはお茶も飲みほしてしまって、特にやることもなく、ただただガイドの戻てくるのを待つばかり。と時間を持て余していたら急におなかが痛くなってきました。同行の女性にはちょっと失礼させていただいて少し離れた草むらの中、サボテンを便器の柱にトゲトゲを目の前に眺めながら、痛むおなかをさすりさすりほかほかの大地にホカホカとさせていただきます。おなかを壊すのはインドではいつものこと。しかし今日飲んだうんこ水のせいではなさそうです。一緒に飲んだ連れの女性は全く問題なかったのですから。
で、一応いつもの決まりで自分の出したものをしげしげと観察したのですが、そのほかほかのお山のてっぺんで小さな白いものがうごめいています。
『おや、あなたはだーれ?』
この長かった放浪の旅、いつの間にやら私のおなかの中にはお友達が住み着いていたようです。
『お助けアレー。こんにちはご主人様、短い間でしたけど、ありがとう。さようなら・・・・』
彼はそんな小さなつぶやきを残して私の残したうんこの山の中に潜っていきました。

結局、ガイドさんは二時間くらいしてから戻ってきて事なきを得たのですが、ジャイサルメールでのキャメルサファリ、いろんな意味で楽しめたなかなか乙な体験ではありました。
さて帰国後、普通の日常に戻った私。あの日出会った小さなお友達がやっぱり気になって寄生虫館にお電話してみました。
受付の女性に事の次第を伝えると、少々お待ちください。次に電話を取ったのが寄生虫館の館長さん。ぜひ話を聞きたいので本館まで来てくださいとのこと。なんだか館長さん、電話口で妙に興奮しています。
さて、今日はこの辺で。
次回は奇譚、目黒寄生虫館 第三話。完結編です。

掲載写真はタミルナード、ケララ地方の風景です。
Hunx and His Punx - Lovers Lane
『ハンクスと彼のパンクス達』
『少彦名のきのこ図鑑8 クリタケ』で紹介したバンド『シャノンと可愛いアサリ達』のリーダー、シャノン・ショーがベース、ボーカルで参加しているバブルガム・パンクバンド。どこかで聞いたようなメロディーにゆるゆるのコーラス。このいかれポンチがと一蹴したいところですがなんだかとっても楽しそう。こんなバンドでいいから、否、こんなバンドだからこそ癒せる魂もある。出てくる音、映像、表現って、集まってきたみんなの心が同じに一緒ならそれだけで立派な作品になるという良い見本です。リーダーのセス・ボガード / Seth Bogart は絵画や彫刻も手掛ける芸術家、ブティックも経営しているようでちょっとしたカルト・ファッションリーダーのようです。
Hunx & His Punx - Street Punk Trilogy

Too Young to Be in Love

Street Punk [Explicit]
奇譚、目黒寄生虫館 壱
2020.08.20 (Thu)

寄生虫館で寄付を募っているというニュースを耳にした。
東京にいた時はよく訪問させていただいた。
今夜はそんな目黒寄生虫館にまつわるお話。

もう何年前になりますか。インドに初めて行ったとき、まずはタイにわたって、カオサン泊、バンコクで二週間遊んで、現地で買った航空チケットはミヤンマー経由のカルカッタ行き。ヤンゴンで友達のおじいさんの家に三週間泊まって(当時のミヤンマーは軍事政権で個人宅での外国人宿泊は重罪でした)、マラリヤにかかったり、洪水にあったり。裏路地の汚いカレー屋で初めてインド人を見て、カレーをすすっている私を瞬きもせず凝視する老人の、ガラス玉のような底抜けの瞳に心底ビビッて、『インド行くのやめようかな・・・・・』ってマジで思ったけど、買っちゃったチケットを捨てるわけにもいかず、インド行きの飛行機に乗ったらそこから一年の旅はまさに文字通りのカオスだったのです。
で、長い長い旅の間に筆舌に尽くせぬ驚くような体験を何度もしてきた旅の終わりに、私はジャイサルメールの荒れ果てた平原に立っていました。

ラジャスタンはインドの西、もうちょっといけばイスラム国家が割拠する中東地域。砂埃の舞う乾ききった大地の果てに、陽炎に揺らぎポツンとそびえる街の鐘楼はまさに月の砂漠に歌われた夢の風景。旅ももうそろそろ終わりということでホテルのオーナーがしきりに営業をかけてきたキャメルサファリなるものに、いつもは春秋することもなく問答無用で断るのですが、旅の予算も見えてきたということですんなり彼の提案に乗ってみました。

長らく旅を共にしてきた女性と二人でいざ出陣。
ま、ただただラクダに乗ってお散歩するだけなんですけどね。それでも、見渡す限りの乾いた平原はなかなかの見もの。強面のガイドと相まってスリル満点です。

で、途中、砂漠のオアシスで小休止、チャパティと紅茶でおもてなしを受けました。お湯は足元に広がる湖の水、といってもとっても浅い、くるぶしまでしかない大きな水たまり。そこにコッフェルを突っ込んで携帯用のバーナーでお湯を沸かします。お茶が入る間その湖を見渡してみると、何やら暗緑色の丸い敷石のようなものが規則正しく敷き詰められている。まるでパンケーキか大きなピザがパン屋の店先に並んでいるみたい。
時期は雨期。乾いた大地に突如現れた幻の湖。湖底に丸く敷き詰められていたのは荒野に放牧された牛達のうんこでした。

二人はインド人ガイドが入れてくれたお茶を覗き込みながらお互い顔を見合わせます。それでものどが渇いて仕方がない私たち、ガイドがカップに口をつけたのを確認してから恐る恐るその茶色い液体をのどに流し込みます。一年間インドを流浪したバックパッカーとしてのプライドもあるし、何より、砂漠を何時間もさまよったのどの渇きに勝てるわけもなし。砂糖のきいたブラックティーのなんておいしかったこと。そう、それはうんこの出汁のきいた地の果てのごちそう。

休息を終えてやれ出発かと思いきや、当のガイドが何やら妙なことを言い出した。
『ちょっと忘れ物をしたから取りに行かなきゃいけない。少しここで待っててくれないか。すぐ戻ってくるからさ。』
かくして、異国の地の荒れ果てた荒野の真ん中で、日本人の若い二人は、あわれ取り残されてしまったのであります。

さて、今夜はこの辺で、この話の続きはまた次回。明日も一日炎天下で収穫しなきゃいけないのでね。
これって、インドよりきついから。

以上、掲載した写真はヒマーチャル地方のものです。
Roxy Music - Avalon
ロキシー・ミュージック
ブライアン・フェリー率いる色気たっぷり、いやったらしさ満点のイギリスのバンド。1971年デビュー、初期メンバーにはアンビエントミュージック生みの親、ブライアン・イーノが参加していました。
当時の世界は今よりもとっても幸せな時代。少なくともヨーロッパやアメリカ、日本などの先進国では血なまぐさいニュースなどは遠い遠い別世界の話。冷戦時代、代理戦争、犯罪や殺し合いは一部の地域、貧しい後進国の不幸な人々の間だけで行われていました。どこにでも行けた、バック片手に、自由にどこへでも。
冷戦が終わって、死んだはずの神々がよみがえって、キリストだとかアラーだとか。神の名のもとに人間がヤギのように首カットされる。今までテレビの画面の中でのみ見ていた妖怪たちがどろどろと私たちの周りにあふれ出る。
アバロンはイギリスにあるという伝説の楽園の島。コロナが過ぎ去った後、私たちは楽園を見ることができるのでしょうか。

副業は映画製作
2019.06.01 (Sat)

このあいだ、SNSで知り合ったインド人にこの写真を見せたら、
「彼はシバじゃないか!君は今売り出し中の一流コメディアンと一緒に映画の仕事をするといういうのかい!?」
と、びっくりされた。
ごめんなさい、私は彼のことを全く知らない。もしかすると一緒に映画に出る羽目になるかもしれません。
さてと、
ちょっとの間、映画撮影という副業のために愛おしい田畑や美しい山野を留守にいたします。
"Zooby Zooby" Dance Dance
『アイヤッパへの道 vol.1』 『アイヤッパへの道 vol.5』 で紹介したインドの問題児 Bappi Lahiri / バッパ・ラヒリ作曲、映画『ダンス・ダンス』の挿入歌。歌うは、こちらも以前『アイヤッパへの道 vol.17』でご紹介したインドの歌姫、Alisha Chinai / アリーシャ・チナーイー。
アリーシャ・チナーイーの名曲『Made In India』はインドでは珍しく映画のサントラとしてではなく独立した楽曲で大ヒットした数少ない作品。
映画のお仕事
2019.05.06 (Mon)

映画の撮影が決まった。
今回の仕事で6本目か、7本目か。

ビザの申請に問題がなければ今月の25日にクランクイン。
長くて20日間の日本ロケになる。

18日にはスケジュールの打ち合わせ。遅くとも20日にはインドの撮影隊と顔合わせ、段取りに取り掛からないといけない。前回の撮影の時はレフ板忘れたとか言って急遽調達するのに大変だったな。

それよりなにより、あと10日ばかりで畑も田んぼも一通り終わらせなけりゃならない。
百姓にとってはこの季節が一年で一番大切な時。そして一番楽しい時。
大事なようだとは言え長い間山を離れることを考えると心が痛む。映画も大事な仕事だが、私の本業はあくまで農家だから。

やらなきゃいけないことの半分もまだできていないけど、今やらなければ、この時期にコケたりするとそれこそ今年一年棒に振ってしまう。

もう少し早く日程が決まっていれば誰かしら雇ってやっつけることもできたけれど、一人というのはこういうときには本当につらい。
後、10日間。一年の間のほんの一瞬、頑張って頑張って、全くすっきりした気分で撮影に臨みたい。
Kozhu Kozhunnu Porandhvale / Theeya Velai Seiyyanum Kumaru
スリランカ同時多発テロ
2019.04.21 (Sun)

スリランカで爆弾テロが発生しました。
スリランカはインドのタミルナードとは深い因縁のある国。タミルの友人が多い私にとっては決して他人事ではない事件です。
取り急ぎざっと、簡単に書いてみます。

スリランカは10年前までタミル人とシンハラ人の民族紛争による内戦が続いていた国。一説によると犠牲者の数は10万人とも20万人ともいわれています。
今回のテロで私が一番危惧するところ。
再び民族紛争に発展すること。タミル人の何らかの団体が今回の事件に関与していないことを祈っています。
そこで、私なりに今回の事件の実行犯を推理してみます。

タミル・タイガー。
可能性は低いと思われます。
タミル・イーラム解放のトラ。スリランカ内戦時、スリランカ政府と敵対したテロリスト集団。私見ですが、タミル・タイガーはスリランカ政府のタミル人に対する民族浄化、弾圧に対抗するためのタミル人自警団と私個人は考えています。日本、欧米諸国がタミル・イーラム解放のトラをテロ集団と認定しタミル人に対する虐殺、弾圧の事実を無視して報道し続けていたのはスリランカ政府との親密な関係から。(民族紛争の直接の原因を作ったのも今は紳士面をしているイギリス、現代に残る紛争の全てはこの国が作り上げたものです)スリランカ政府の悪行が明るみに出たことでやっと動いた国際社会の仲裁により26年ぶりに停戦協定が結ばれました。
結論としては彼らが事件を起こす可能性は非常に低いと思われます。理由としてキリスト教会を攻撃する理由がないこと。結果として国際世論を味方につけることはできないこと。タミル人のキリスト教徒が多数いること。
タミル人イスラム団体。
こちらも可能性は低いと思われます。
今までイスラム教徒によるテロがスリランカでは行われたことがないこと。
おなじタミル人がいるであろう教会を爆破することになること。
タミル人の故郷、インドのタミルナード州ではヒンドゥ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒はともに助け合いながら仲良く共存しています。洪水などの大きな天災が多い中、彼らは宗教の区別なくともに助け合って生活しています。なお、パキスタン系テロリストが起こしてきたテロは主にムンバイやデリーなどの北インドです。
結論
外国のイスラム過激派による犯行。国内情勢を不安定にして活動拠点の拡大を図る。
シンハラ人の謀略。タミルの分裂を図りタミル人社会を弱体化する。
今回高級ホテルも標的にされたということですが対外的に衝撃を与えるという意味では国際テロ集団の可能性が高いと思われます。

しかし、どうしても釈然としなのでお見舞いもかねてスリランカの友人に電話で聞いてみました。ちなみに彼はイスラム教徒です。
回答
スリランカでは近々に大きな国政選挙を控えている。投票日を前に政府転覆を狙う野党のブラックキャンペーンの可能性がある。
10年前の停戦以来、スリランカでは長い安定した政権運営が行われている。安定した世の中にあって与党政府を攻撃する口実が野党には皆無である。
インドやスリランカでは選挙前にこういった過激な事件を起こして国内を混乱させる手法は珍しいことではない。
国内情勢を不安定にし政権与党に今回の事件の責任をとらせる。
タミルタイガーにキリスト教徒を攻撃する理由が見当たらない。タミル解放のトラのメンバーには多数のキリスト教徒が存在する。
タミル系イスラム教徒による過激なグループはスリランカには存在しない。スリランカ国内では未だかつてムスリムテロが発生したことがない。
結論
あくまで彼個人の見解としてですが、この事件は選挙を控えて野党グループが仕掛けた世論操作のためのテロの可能性が高いとのこと。もし、このまま犯行声明なり犯人逮捕が無いようであれば政治的な偽装テロの可能性が高いでしょう。
政治グループ、政党の構成メンバーはシンハラ人、タミル人が混在しています。人種的な差は政治勢力の中には存在しないとのことです。

もしこれが事実だとすれば、ただの権力抗争で100人以上の人命を奪うなどとは日本では全く想像できない暴挙です。にわかに信じられることではないですが、テロ直後のスリランカ国内では国民の多くがこのことを噂しているとのことです。
もし今後、外国人テロ組織の関与が浮上したとしても彼らを国内に手引きした黒幕が国内の政治の世界にいないとも限らない。そんなことまで疑ってしまうような彼の発言でした。
世界有数の観光地、スリランカでこのような事件が起きてしまったのは本当に残念なことです。スリランカの少数派であり私の大事な友人であるタミルの名前がテロリストの中から見いだされないことを切に願います。やっと手に入れた平和をこんな事件で手放すことのないよう、今こそ国内が一致団結し、人種や宗教の垣根を越えて平和で強固な社会を作り上げてゆくことを切に願います。

南インド料理 シリバラジ 11周年
2019.04.12 (Fri)

中目黒の南インド料理レストラン、シリバラジで11周年を記念したアニバーサリー・ビュッフェを、4月14日、日曜日に開催いたします。メニューは御覧の通りの豪華なラインナップ。ドリンクもついて食べ放題でご提供させていただきます。都内でも珍しい南インド料理。北インドよりもあっさりしていて油はすくなめ。タミルのカレーはちょっと辛いけど旅行慣れしてる人の言うには南のほうが断然おいしいというのが定説です。
さて、メニューの中には馴染みのない料理もちらほらあるのでここで皆さんと一緒におさらいしてみましょう。
Green Salad
これはわかる。サラダのことですね。
Tossed Salad トス・サラダ
トスサラダ?野菜とドレッシングをあらかじめ和えたサラダをトスサラダて呼ぶんだって。これは知らなかったなぁ。
Papad パパド パパード
南アジアのクラッカー、インドの定食には必ず出てきます。そのまま食べたり、カレーをつけたり、砕いて料理に振りかけたりしていただきます。

Kadalai Parupu Thalipu
ひよこ豆を焼いたり炒めたりした料理って意味らしいんだけど。

Dahi Vada ダフィ・ワダ
ダヒはヨーグルト、ワダはドーナツみたいな揚げ物。

Spicy Chicken Kebab
鶏肉のケバブ。もうおなじみですね。スパイシーでエスニックなインドの焼き鳥

Kanchipuram idli
イドリ―は私の大好物。米粉を発酵させたインドの蒸しパン、南インドの朝食です。カンチ―プラム風となっているので普通のイドゥリとちょっと違うのかな。カンチ―プラムは南インド、タミルナードの古い都。大きな寺院がたくさんあってとてもいいところです。

Chicken Veppudu / vepudu
ヴェプード、肉をスパイスで炒めたもの。汁のないカレーっていえば想像つくかな。

Hyderabadi Lamb Keema
羊のキーマカレー、ハイデラバード風。普段のキーマとは一味違う。

Dalcha Veg
野菜のダルチャ。ダルチャは同じくハイデラバードのカレーだそうです。

Garlic naan・Roti ナンとロティ
北インドのナン、南インドのロティ。個人的にはナンよりロティのほうが好き、インドで食べられるパンです。シリバラジではどちらもしっかり窯で焼きあげてます。


chicken dum biryani ビリヤニ
インドの炊き込みご飯。炒めてないからチャーハンじゃないよ。ちなみに焼き飯はPulaoと呼びます。一般家庭では残ったカレーやビリヤニを炒めて次の朝プラーオとして食べたりします。プラーオが東に行くとチャーハン、西に行くとピラフ。どちらもインド起源です。(アジェイに聞いたら現在プラオは一般的に辛くない炊き込みご飯のことを指すんだって。焼き飯は今ではフライドライスと呼んで区別しています。)

Raita ライタ
ヨーグルトのサラダ。辛いスパイスで腸内をきれいにしてヨーグルトで優しくコーティング。インドの食事はよくできてます。
ビリヤニにかけたり、カレーに混ぜたり。これがないとカレーを食べた気がしません。

ladu &Gulab Jamun
自家製ラドゥと自家製グラブ・ジェムン。どちらもインドの代表的なスイーツ。特にグラブ・ジェムンはこれでもかというほどの甘さ。本格インドを体験するにはもってこいの締めくくりアイテムです。


ラッシー、ワイン、生ビールもサービス。
場所は中目黒駅の正面口を出て右。山手通りをひたすら歩いて通りに面した左側、目黒警察署のすぐ隣です。当日は通常メニューも食べられるということです。芸能人もお忍びて来店するようで運が良ければ会えるかも。皆さまこぞってお出かけください。
(水道橋店も併せてよろしくお願いします。)
追記
三歳以下の幼児は無料。幼稚園の子は500円。小学生は1000円だそうです。家族そろって食べに来てください。
なお、当日混雑も予想されますので特に遠方の方は念のためお電話で確認してくださいとのことでした。
シリバラジ 中目黒店
〒153-0061
東京都目黒区中目黒2-7-14
TEL 03-5724-8995
東急東横線・東京メトロ日比谷線中目黒駅から徒歩10分
JR・恵比寿駅から徒歩15分
JR・目黒駅から徒歩15分
営業時間
11:00〜15:00(LO14:30)
17:00〜23:00(LO22:30)
定休日 無休

10年前のアジェイ氏。なかなかいい男だよな。
まだ若くて腹も出てないし。
インド映画ロケハン 富山
2019.03.30 (Sat)

ロケハン二日目
飯山から一路、富山県へ

朝から大雪
インド人とスキーヤは大喜びです。

五箇山
以前、撮影に訪れたのもちょうどこのころ。

周辺の野山に響き渡るくらい、ひっきりなしにけたたましく笛を吹き鳴らしている子供がいます。
と思ったら、合掌造りの屋根の上に何やらうずくまっている大きな影。

望遠レンズを忘れてきたので写真を無理やり引き伸ばしてみました。
なんて名前の鳥でしょうか?鷹でもないしトンビでもないし。
鳥類に詳しい方、教えてください。

あ、こっち向いた。

雪は残っていますがもう春がそこまで来ています。標高でいえば私の村よりも600メートルも低い標高400メートル。雪の多い里山では田んぼに水をひかずとも雪解けの水で自然と水に浸かります。

まるでミニチュアですね。
富山県は観光促進のためにこういった映画撮影のロケに全面的に協力する自治体。
我々が撮影してきたインド映画の公開後、飛躍的にインド人の観光客が増えていると聞きます。

山から海へ。
新湊。
私の生まれ故郷、東京深川の昔の姿を思い出します。

東京から信州へ。
海のない場所に引っ越して早5年。ロケハンでなかったら一日中居れそうです。

富山湾。
やっぱり海はいい。観光ではないのでゆっくりしていられないのが残念です。

内山邸
こういった県の文化財でも撮影のために開放してくれるのは富山県の強み。
理解のない自治体だととやかくうるさくって。日本は映画を撮るにはとっても不便な国です。

逆にインドだと文化財だろうが世界遺産だろうが気軽に使いすぎちゃってそれもどうかなって思うのだけど。

奥の間の掛け軸。
これはネズミでしょうか?モグラでしょうか?

内山家は富山藩当時の大庄屋だとか。
私の祖先も伊那地方を治めた高遠藩の大庄屋。今ではただの小作人ですが。

今回の映画はコメディーになるそうです。
といってもアクションあり、恋愛ありのいつものフルコースなんだと思うのですが。

インドの皆様、日本のわびさびを堪能していただけたでしょうか?

鋳物の街、金屋町
東京と違って空襲を受けなかった街には古いものがたくさん残っています。

最期は富山空港。
私はここから東京へ戻る彼らと別れて一気に諏訪まで。

松本方面なら高速乗らず一般道の方が早いかも、と地元の方に道順を教えてもらって、いざ日本アルプス走破。
途中鹿にぶつかりそうになり、タヌキを4回轢き殺しそうになり、寝静まった秘境の温泉を尻目に死ぬような思いで帰ってまいりました。今までのドライブで一番怖かったかも。
そして驚いたのが峩々として険しい山奥で、見たこともないような大きな工場に突然出くわしたこと。
後で調べたら『神岡鉱山』かもしれません。イタイイタイ病の原因になった亜鉛鉱山。
旅の終わりはいつも不思議な場所。再訪しようと強く心に決めたのは新しい旅の始まりなのかもしれません。

THE GIST - Love At First Sight
前回のショーケンの記事でちらっと紹介した『The Gist』の知られざる名曲。大好きな曲なので以前にも何度か紹介しています。私の持っているのはヤング・マーブル・ジャイアンツ、ウイークエンドのオムニバスアナログ盤。そのほか収録盤はどれも絶版になっているのか中古でも5000円以上の高値がついています。
他人にラブソングの中で一番好きな曲はと聞かれたときは迷わづこの曲を選びます。題名の通り、出会ったときにぱっと目の前が明るくなるなったような、イントロを聞いた瞬間から文字通りひとめぼれをしてしまった一曲。恋愛でも『一目ぼれ』を今でも固く信じています。

Embrace the Herd【中古】
インド映画ロケハン 中山道
2019.03.27 (Wed)

今年も恒例のインド映画撮影です。
急遽呼び出されてとりあえずの鉄板、中山道へ。

岐阜県 馬籠宿
奈良井宿とはまた違った風情の、坂の多い宿場町です。
中山道沿いにはこうした宿場町が点在しているので時間があればはしごで見比べるのも面白いです。

時間がないのでほとんど駆け足で。
仕事なのでゆっくり観光というわけにはいきません。

途中寝覚めの床をチラ見

以前もロケ地で撮影させてもらった奈良井宿。
前日の雪の、見事な雪景色にインド人も大喜び。

何度来てもいいですね。
雨でも雪でも曇り空でも本当に絵になります。
もしこれで道路が舗装されていなかったらどんなに凄みのある風景になっているかと住民の方の便利性は全く無視して想像してみます。端っこに見切れている自転車はご愛敬。

侍の村でインド人は何を思う。
何故か今回の撮影は俳優より監督よりプロデューサーより、カメラマンが何よりえらい。
有名な映画を何本も撮影しているという今回の主任カメラマン。

『Saagasam』の撮影の時に大変お世話になった『長泉寺』さん。
先代のご住職の案内で本堂の中を拝見。
有難くも家宝である400年前のお茶ツボまで見せていただき再び歓待していただきました。3代将軍徳川家光、御茶壷道中当時のものですね。『茶壷に追われて戸をピッシャン』の、あの茶壷です。それこそ落として割れたらと思うとひやひやでした。

お蕎麦屋で遅い昼食。いつものことですがインド人の始動が遅いものでもう夕方になってしまいました。

蕎麦屋 『こころ音』
今回で二度目の来店。日本風にてんぷらせいろで舌鼓。
日本食が食べられないスタッフのために持ち込みのインドカレーも店内で広げさせていただいた、こころ音さんの広い『こころ』には大感謝です。
『こころ音』さん、本当にありがとうございました。

『中村邸』
もう日も暮れて時間外だったのですが特別に中を見せていただきました。
奥様は昔インドに行かれたことがあるそうでコルカタのマザー・テレサの施設でボランティアをされたとか。
なつかしいお話も含め、中村様にも重ね重ねありがとうございました。

今夜の宿泊は飯山の木島平。
我々の熱烈なサポーター『Hotel Radiant』で。

こちらも特別に時間外にもかかわらず開放していただいたホテルの大浴場。完全貸し切り状態です。
何から何まで至れり尽くせりで、協力していただいた皆様、本当にありがとうございました。
Saahasam - Official Trailer
もう四年前になるのですか。月日の流れるのは早いものです。
当初、タイトルは『Saahasam』となっていましたがウィキペディアなどで調べてみると『Saagasam』とクレジットが変更になっています。どういういきさつか今度聞いてみよっと。アマンダさん含めみんな元気にしてるかな。