養護学校

2016.07.29 (Fri)
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東京の自宅
すぐ近くに養護学校がありました。
毎日の駅までの道のり、他の地域からもたくさんの生徒たちが登校してきますから、朝、夕、毎日のように大勢の障害のある子供たちとすれ違います。
大声で話しながら連れ立って登校する子、途中で座り込んでしまってしばらく動かない子、恋人同士で仲睦まじく手をつないで歩いてゆく子、大きなカバンを背に一人とぼとぼと寂しそうに帰っていく子。急ぎ足で走り抜けてゆくサラリーマンとはまるっきり対照的な風景です。

そんな中、ひときわ目立つある男の子がいました。顔の感じからきっとダウン症の男の子、彼は周りの子よりも活発で、いつも何人かの友達を引き連れて、みんなの先頭に立って引っ張ってゆく、立ち止まって道草する子を叱ったり、しょんぼりしてる子を励ましたり、とにかく集団の中心でほかの子よりも目立つリーダー的存在でした。

 私の卒業した小学校は全国でもかなり早い時期に特別学級を設置した学校、地域的に福祉の行き届いたエリアだったようです。その当時、5、6年の上級生が当番制で彼らの教室を一緒に掃除したり、課外授業で引率のお手伝いをしたり、時には脱走した生徒をみんなで探し回ったり、子供の時から身近にみていたのでそんな彼らを特別に気にもかけず、私にはとても当たり前のいたって日常的な風景でした。

 新入学の春が過ぎて、セミの鳴きしぐれる夏になり、枯れ葉が舞い、雪が落ちる。駅からあふれ出す人々の流れに合わせるように季節は廻り、彼らと毎日顔を合わせる私はもうすっかりみんなの顔を覚えてしまいました。そんなある日、この子たちが入学して何年目かの夏、長い夏休みが終わって二学期が始まる新学期のある暑い朝、いつもと変わらない街の日常にちょっとした変化が現われたんです。

 二学期が始まったある朝、以前から気になっていたあの元気なダウン症の男の子に、いつものように登校してくる学生服のあの姿が何やら今朝は普段と違う。
通りの向こうからこちらにやってくる見慣れているであろうあの子の姿、しかし今朝はどうも様子がおかしいんです。そう、夏休み明けの新学期に毎年繰り返されてきた学生生活のあの現象、俗にいう中学生デビュー。
そこにいたのは、風にたなびくだぶだぶなズボンをはいて油でびしっと固めたそりこみよろしくトサカの突き出たリーゼント、ピカピカの靴の爪先は刺すようにとんがっていて、教科書一冊入らないぺったんこに潰れたカバンを片手に蟹股でこちらにやってくる、私の眼は釘付けになりました。今まで品行方正だったあの少年が、立派な不良ルックで登校してくるではありませんか。その年の夏がいかに暑かったとしても、夏休みのこの一か月半、いったい彼の身に何があったというのでしょうか?それからは以前にもまして彼から目をそらすことが出来なくなりました。



ダウン症
通常の人より染色体の数が一つ多い。普通の人よりも体が弱い傾向にあり、繊細で時に感情の起伏が大きくなる。一般的に知的障害を伴うと認識されているようだが主には会話能力や聴覚などの機能障害、日常のコミュニケーションをとることの困難さからしばしば自閉症になりその結果、二次的に知的障害を伴うようになるらしい。時にダウン症の子供の中にはとびぬけた才能を示すものもあり、パソコンやピアノ、絵画や習字など、機能障害からくるコミュニケーションの困難さを補完する『ツール/手段』を手に入れることで元来備わっている内的能力を開花させることがしばしばある。彼らは総じて私たちよりも平和的で優しい。もしかすると人間の新しい形、進化の過程にある存在かもしれません。



 今までみんなで連れ立って帰っていたのに、一人で肩を怒らせて帰ってゆく彼。時には学校で習った歌をみんなして歌いながら歩いていたのにその口は、今ではいつも一文字にきっと結ばれたまま。粗暴なふるまいをするほどではなかったけれど、入学当時から彼を見ている私にとってはとてもじゃないが気が気でなりません。それからというもの、その子の姿を今日も目にしては人知れず心配したり、変わらず登校していることにほっと胸をなでおろしたり。しばらくの間、そんな月日が過ぎてゆきました。

 その日から半年、寒い冬が明け、街に桜が花開く春爛漫の朝、私は彼のことをしばらく忘れていました。学校も長期のおやすみ、彼の姿を見ない日が続いていたので。
そんな晴れ渡った春のある日曜日、あたたかな日差しがさんさんと降り注ぐ休日、いつものように通いなれた道を歩いていると、かつてから見慣れていたあの姿が遠く私の目に飛び込んできました。私が歩いている広い歩道のそのさきのほうからこちらに向かってくるあの子の顔は以前見ていたような満面の笑顔をたたえています。隣には同じく笑顔のスーツ姿のお母さんが連れ添って、時折彼女の顔を見上げては嬉しそうに話しかけながら、大きく腕を振ってこちらに歩いてきます。彼の学生服のホックは首の一番上までピシッと絞められ、折り目の利いてすっきりした学生ズボンはもう風に膨らむことはありません。片手はお母さんの手をしっかり握りしめ、片方の手でその日もらった卒業証書をぎゅっと胸に抱えて、同じく笑顔のお母さんを見上げながら、あふれる喜びで間断なく話しかけている、二人の笑顔は今まで見たどんな笑顔よりも輝いていました。母親の手をぎゅっと握りしめたまま、まるで道の上を弾むようにして歩いてゆく彼の嬉しそうな後ろ姿、僕はしばし立ち止まり、二人が駅の中に消えてゆくまで、きっと私も満面の笑顔で、二人が並んで歩いてゆくのを眺めていました。





  
  相模原障害者施設殺傷事件を受けて



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コメント
わたしの甥っ子の一人は自閉症です。
でも、小さいころからもくもくと絵を描き続け、今は絵描きです。
彼のような人達のアーティスト集団でがんばっています。彼が描いたイラストのTシャツやパパーカーはとてもすてきで、わたしと夫のお気に入りです。
うまくいえないけど、別に宗教とかなんとかじゃなくて、何か大切なものを神様からもらっているっていうか、そんな気がしています。
pukupuku | 2016.07.30 20:35 | 編集
近くに授産施設があります。私は何もできませんので、年に1回の発表会の日にたこ焼きとビールを飲みに行きます。大和メダカも売っていますので買って帰ります。もう一つ飲んだ発泡酒の缶を専用のカゴに入れています。大きな声でありがとうと言ってくれます。
くんざん | 2016.07.31 06:01 | 編集
私は今の仕事の前に障害児の子供の世話をしていました。

ダウン症の子供たちも多くいました。

私はブログを読みつつ私が接したA君にあまりに
似ているのでびっくりしました。

私はあの子たちとの時間が幸せでした。
忘れられません。
森須もりん | 2016.07.31 20:18 | 編集
pukupuku さん

コメントありがとうございます
自分の中の才能をしっかり役立てているのはとっても幸福なことですね
よく親に言われた言葉で『自分の好きなことを仕事にしてはいけない』などと分かったようなことを小さいころから言われました
本当に無責任な言葉だと今は思っています
好きこそものの、自分が何ができるか今でもわかりませんがそれを見つけられた人は本当に幸運だったと思います。
甥っ子さんがうらやましい
sukunahikona | 2016.08.06 09:37 | 編集
くんざんさん

こんにちは
私もこちらに来て一度養護学校の文化祭に遊びに行きました
その時買った焼き物のカップは今でもチャイを飲むときに使ってます
『ありがとうございます!』
出来る範囲で一生懸命やってる姿は気持ちがいいですね
sukunahikona | 2016.08.06 09:40 | 編集
森須もりん さん

もしかして深川あたりの養護学校ではないですか?もうずいぶん前の話なので彼も今頃どうしているかななどとたまに思い出すことがあります。
わたしなんかははたでただ眺めているだけですけれど野外活動なんかで引率しているのを見ると本当に大変そうだなといつも思います
sukunahikona | 2016.08.06 09:43 | 編集
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